江戸① 認知科学学会をちびっと聞いて at Tsudajyuku in Kodaira | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

研究授業を終え,

やっと毎日爽やかな空気を吸っている私が,

授業研究の後すごく楽しみにしていたのが,

この週末の江戸参りでした。

おかげで,とてもよい時間が過ごせて幸せです。(^O^)


土曜日は,早朝の飛行機が満席で取れず,

お昼ごろに,こちらを出発した関係で,

最初からは参加できませんでした。

しかも,津田塾大学は千駄ヶ谷と小平にあり,小平キャンパスでの開催であったため遠く,

道中いろんなことがあり,

最終的に大津先生の「刺激の貧困」のお話とそのあとの殴り合いを観戦しただけとなりました。


相当簡単な感想を申し上げれば,

大津先生のお話と知的殴り合いを観戦できたことはよかったです。


大津先生のお話はビギナーにも非常にわかりやすく,

基本的な言語学知識を欠いていてもよく理解できますが,

そのあとの殴り合いは何が問題でどうなっているのかがさっぱり分からず,

しかしそれがとても私にっとっては良かったです。

意見がないのでどちらの味方にもなりえないからです。


西村先生も,大津先生もどちらにも寄らない。

どちらのチームにも好きな選手がいるサッカーや野球の観戦者みたいなものでした。何と言われようと,専門家ではないのでしょうがないです。


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羽田から直接小平まで向かったので,

大きなスーツケースをガラガラと引きづりながら(どの駅も預かってもらえなかった),駅員さんの説明が悪いのか地図が悪いのか,

西武線「鷹の台」についてまで,ウロウロとして,

暑いわ,足は痛いわで,このまま何度も帰ろうかと思いましたが,


殴り合いのケンカが見れて,最終的には得るものがあり良かったです。(二度目)


それで,

それだけではなんなんで,


メモを備忘録として書き留めておきます。


問題と謎


Linguistics  Chauvinism

(Sue CArey in the 70s )

(Chauvinismは「狂信的愛国主義」とか「排外主義」の意)


・音韻論・統語論・意味論

・個別文法と普遍文法

・心と脳「共時(今,現在)的研究と進化研究


・生成文法の前の構造主義言語(ソシュールとかレヴィストロースが関係あるよね多分レヴィは文化人類学者ですけれども)


Minimalism 「極限方略」

・人間の言語器官が満たすべき一般的条件とは何か


認知言語とは,「こころの構造と機能を探ること」


・生まれて間もないチンパンジーを研究者夫婦が引き取り育て教育し,

言語習得が可能かどうかを実際に研究したところ,一言も言語を発することができなかった。それは人間と猿の解剖学的な構造の違い(猿は口腔が極端に狭い)からかもしれないとのこと。

その後の研究で,チンパンジーも手話でなら数百単位の単語を覚えたが,階層(句とか節)を作り複雑な文章は作れなかったようだ。


言語獲得には時限?次元?スイッチがあると言われている。


1977年にGenieという少女が生まれて間もなく父親から軟禁され虐待を受け,後に母親の通報で保護された。

彼女は運動機能に障害があり(見た目は脳性まひのような感じ),目つきが険しく,言語習得における適切な環境の下に育っていないため(経験が不足しているため)言葉もを発することが難しかったようだ。そこで,彼女の言語教育に言語学者が関わり,言語更生をはかる。しかし,数百の単語を理解できるようになったとしても,先ほどのチンパンジーの話と同様に,文の階層を作れなかったようだ。

母語についての話だが,

言語には次元装置があり,ある時期に適切な経験を経ないとその後の言語獲得に障害をもたらす。


文の階層を作ることができるのは今のところ人間だけだと思われている。(うちの犬のカールが「お母さん今日もお仕事お疲れ様。僕は母さんが今日も元気で頑張っているのを見て嬉しいよ。」っと言っているように鳴き声が聞こえるのは,相当な勘違いなのだろうか。)


・言語獲得に関する重要な認識


「刺激の貧困」

ラッセル

 Environment Stimulus greatly underdetermines developmental outcomes.


言語獲得の論理的問題

プラトンやメノンを引用


小耳にはさんだうわさ:MITの学生は意味論を履修する人が多く。意味論は人気があるらしい。


最後に


西村先生のお話がお聞きできなくて本当に残念なのですが,

最後の殴り合いの時,

「コミュニケーションのために言葉があるわけではない」とおっしゃっていたことが気になった。


コミュニケーションをとるためだけなら,言葉だけでなくてもとれるわけで,

・・・・・・・・


言葉って,何のために存在するのでしょうか?

一体何のためなのでしょうか。


っと謎だらけで会場を去ったのでございます。。

喉に小骨が刺さった状態での帰還。


その後,


ゴロゴロとスーツケースを引き,なかなか来ないバスを待ち,

バスの中では学芸大学の学生だと思われる人たちに囲まれ,

こういっちゃーなんですが,耐えるに堪えない話を聞かざるをえず,

早く駅につかないかなーと思っていたら,

保育園からお迎え帰りの,息子を抱っこひもで抱っこしたイクメンに会い,なんだか幸せなバス乗車の時間になり,私の嫌な気持ちも雨もすっかり止んだ,江戸の第一日目。(私は晴れ女)