県の研究会で感じたことを書き留めておこうと思って,10日ほど過ぎてしまっている。
年を重ねるたびに時間が短く感じ,
このままいくとあっっという間に人生が終わってしまうのではないかと思われるような毎日。
高校時代の一日は,今の私の10日ほどの感覚。(この言葉にピンとこない人はまだ若い証拠なのでしょうね)
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新学習指導要領「英語で英語の~」にそったやり方で,県のモデル校になっている県下で2番目の進学校での授業を拝見してきた。
本当に全部英語で授業がなされていて非常に感心した。
しかも,流石に県下でも有数の進学校だけあって,生徒たちの集中力・持続力は素晴らしいものだった。
しかし,中には参観しに来ている先生方に見られまいと,小テストが出来なくて一生懸命隠そうとしている女子生徒がいたり,Almost夢の中の者,授業者の先生の言っていることが分かっていないくせに,周りと一緒になって笑う者(高校時代のわたし)とかが居て,ちょっとホッとした。
進学校ですらそうなんだから,複雑な文章を読み込んでいくには,無謀だなって感じたわけで・・・・ござんす。( ̄▽+ ̄*)(最近この文の終わり方がマイブーム)
この研究校の先生方には以前の同僚が2名いて,本当に頭が下がる思いでいました。今思えば,先生に成りたての姿を知っている同僚に会うのは,懐かしいやら嬉しいやら気まずいやら・・・・あーだら,こーだら,まーだら,やーだら・・・だ。
最後に講評した指導主事の先生も,かつては,このだんすぃ校に勤務されていて,身近な感じで,しかもとても良心的な発言をされて良かった。
やはり,指導主事は,進学校だけでなく専門高校に勤務されて,幅広い生徒たちを伸ばせていける方でないと,子供達が可愛そうなのと,
私のようなやさぐれ者は話を聞こうとしませんので,そこのところ今後もよろしくお願いしたいです。
講評の後,スタンディングオベーションをしそうになり,立ちたい気持ちを堪えるので精一杯だった私を,これから本当にかわいがってください,頼みます!
(@^▽^@)ノ
一方,
今まで,ここ二十年近くの間,何度も講評者として呼ばれて来られた某国立大学の英語教育の専門であられる教授のお話は,
「あれっ?この方,来られる度にベクトルが違う話をしていませんか?」って思われるほど,360℃態度を変えられる方だった。
しかも,恥ずかしいくらいにコロコロと。
以前は,相当高圧的に現場を懲らしめてきて,
今になって,「中学校で英語は嫌われる教科なのに,その英語を極めて職業にまでしてしまっている英語の先生方は,相当な変わり者だ。」と,正眼で述べられるようになったのは,
一体,いつ頃からなのでしょうか?
かーさん,あの麦わら帽子,どこにいったんでしょうね・・・・
マーマー,ドゥーユーリメンバー♪
現場は,いつも,講評者の先生の話をありがたく頂戴し,一喜一憂し,
追い詰められ,時には仕事を去り,時には命さえ落とし・・・(全然笑えない)
どうして,
その言動をころころ変えてこられたのでしょうか?????
どうして,そんなに・・・・
そんなに自己矛盾した言動を平気でなされて来られるのでしょうか?
現場は・・・現場は・・・
振り回されて,死人が出ているくらいなのに・・・
そうならないように,発言されるのが研究者としての立ち位置では?
まだ,強硬に,ずっと方向を変えず,
やれ!やれ!おまえらは屑だ!おまえらはダメだ”!まだまだだ,もっとやれ!っと言い続ける人のほうが信じれる。これマジです。
あなたは,「私は,文部科学省の御用学者です!」と言っているのと同じですよ。気づいている人は気づいているし,絶対ごまかされません。
そのように自己信念もなく,言語に対する普遍的で尚且つ基本的な知識・姿勢を持ち合わせていない人に,発言力を与えてきた分野って,相当おかしかったのだということですよね。
一生懸命に良心的に発言してきた人間を潰し,
平然と,私も元々あなたと同じですよ!と口笛を吹かれて寄られても,私はどのように反応したらいいかわかりません。
今まで傷つけられたり,命まで落とされたりしてきた人間の怒りに,あなたは応えられるのかと私は言いたい。
面と向かって顔を合わせ,目をしっかりと見て発言できるのか言いたい。
全てを見通していた方々に,発言権を譲渡していただきたい。私がいいたいのは,それだけです。
あなたには発言する資格があるのかと,自分で自分の胸に聞いてほしい。立場が変われば,180℃考えを変えて,何の信念もなく,ただ時流に乗っかりたいだけのために,発言権を得たいがために,その場その場で言葉を変えるなんて,恥ずかしくありませんか?
本当は二度と出てきてほしくないのだ。
もう会いたくない。少なくとも,私はものすごい怒りを感じた。
今回講評しに来られた彼・彼女のような平気で人を欺くような言動をする人のことを,まさに「東大話法」をする人々と呼べはしないか?
「東大話法」については,以前ツイッターで話題になったので,私も知っていたのだが,最近この話題をされている先生がおられて,少し載せさせていただく。
安冨 歩「原発危機よ『東大話法』傍観者の論理 欺瞞の言語 明石書店
を読まれての感想
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/09/2012.html
上記ブログ,文中より抜粋↓
「東大文化」の三つの特徴は以下の通りです。
徹底的に不誠実で自己中心的でありながら、
抜群のバランス感覚で人々の好印象を維持し、
高速事務処理能力で不誠実さを隠蔽する (114ページ)
著者が批判する「東大文化」をもつ人は、普通の人なら良心の呵責を感じてしまうようなエゴを満たす行為に対しても何も感じず(=不誠実)、周囲の人々の心理状態や損得の状態をよく観察して常に自分が不利な状況にならないように適宜周りに飴玉をなめさせ(=バランス感覚)、膨大で無意味な予算申請書や体裁だけの論文をすらすら書き上げます(=高速事務処理能力)。(112-113ページ)。
こういった人のことばの使い方として著者がまとめたのが「東大話法」です。東大話法は実は20あるのですが、ここでは(後で少し述べます)「立場」にかかわる東大話法だけを引用します。
東大話法規則
規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
規則13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。 (24-25ページ)
こういった人は私たちの周りに多くいます。自らには首尾一貫した定見がなく、その時々の立場(地位)の利益にかなったことばかりを言い続ける人です。そういった人は、何でも自分の立場を強化するように話を曲げて解釈し、そのような解釈の話ばかりを集めてペラペラとしかも大声でまくしたてます。自分の立場にとって不利な話は無視したり、小馬鹿にしたり、あるいは関連のない話にもっていってごまかしたりします。
以上
東大話法は,いつも東大出身者だけに限らない。そういった話を平気でする人は身近にもいる。そのような狡猾で,信念の微塵もない畜生みたいな人に騙されてはいけないと,私は強く思うし,見破っていかねばならないと決心してる。