この学生さんはなんだか分からないけど良い先生になりそうだ! | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

わたしがよく訪れているブログに,

広島大学の柳瀬先生の「英語教育の哲学的探求2」というところがある。


その中に,

「言語コミュニケーション力論と英語授業(2011年度版)」での学生さんの様々な気づき というタイトルで

先生の優秀な,英語教師の卵の学生さんたちの感想・レポートが載っている。


ざっくりと見させていただいて,

一番目に止まったのがこの方のレポート。


直感的にこの方はいい先生になられるだろうと感じた。


何か一つのことを徹して極めようとしている姿勢に共感できるのと,

Mさんの礼儀正しさ,頭の良さが想像できる。

なんだか分からないけど,同僚にいそうなタイプだし,こういう人がいてほしい。


以下引用します。

■「場」を見極める


http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/2011_19.html


[これは剣道を18年間稽古し続けているMNさんの文章の一部です]


4.1英語教育と私

 はじめにも書いたとおり、今の私の考え方や行動というものは、良くも悪くも、剣道という競技を続けてきた中で形成されてきた側面が強いと思う。このことを感じ始めたのは、教育実習の最中であった。
 
 まずは場について。場が人を動かす、といっても良いくらい場のもつ力というものは大きいと思う。授業でもそうだ。そのクラスの持つ力が大きければ大きいほど、学習効果は高いと、実習中に感じた。ここでのクラスの力というのは、学力のことではない。雰囲気であったり、もしくは意欲であったり、クラス内の信頼関係とも置き換えられるかもしれない。そしてこの力は固定されたものでなく、変動的なものである。教師の役割とは、この場の力を引き出すことと、見極めることであると思う
 
 クラスにはいろいろな性格があると感じた。元気なクラス、おとなしいクラス。私は音読で声がでなければ、「このクラスの生徒たちやる気ないんだな…」とまで思ったことがあった。しかし実際は違った。ただ読ませるのではなく、音読の「指導」をきちんとした後に読ませたら、見違えるほど声は大きくなった。「意欲がない」「声が出ない」と決めつけるのは簡単だが、教師のやる仕事はそういったことではなく、生徒の可能性を引き出すことなのだと思った。
 もう一つの見極めるとは、そのクラスの力が本物であるかを見抜くということである。“雰囲気の良いクラス”は、本当にすべての生徒にとって居心地のいい空間になっているのか、見せかけだけの“良いクラス”になってはいないか、教師は常に自覚的に考える必要があると思う。大きなものを見る目と、小さなものを見る目の両方を備えておかなければいけないと思う。
 
まとめになるのだが、英語がわからないから授業がつまらない、授業がつまらないから話を聞かない、話がわからないから、英語が苦手になる、という悪循環にならないようにも、「場」を大事にする必要があると思う。本当の意味で生徒が学校に行きたい、もしくは行かなければいけないと思うような学校経営や生徒指導は、教科指導と並行して考えなければいけないのだろうと感じた。

 以上が、私が剣友会からはじまり、中学、高校、大学の剣道部といったコミュニティで剣道を続けてきた中で感じる、「場」についての考えである。
 
 もう一つはコミュニケーションについて。大学入学当初は、英語力や語学力とは何か、そのことについてまだ明確な自分の考えをもっていなかった。ただ、ネイティブのような発音でペラペラ英会話ができる、だとかそういった類のものではないことは感じていた。でも、じゃあ何なの?と言われたらうまく言えずにいたし、「英語の先生をみんなネイティブにしたら、生徒だって話せるようになるのに」といった言葉に対しても反論できなかった。
 
 教英で勉強をしてきた中で今思うのは、コミュニケーション力とは心を動かす力なのではないかということだ。英語を使って言語をつかって、相手の心を読むだけでなく、さらにそこから自分の思いを言葉にのせて相手の心を動かすことができれば、どんなに流暢でも中身のない言葉よりもずっと、相手に伝わる内容が多いと思う。剣道でいうパワーやスピードが武器になるように、第二言語コミュニケーションにおいても、流暢さや発音、文法はもちろん大切である。でもそこで完結してしまったら、この先に伸びるものがないのではないかと思う。内容にフォーカスを当てるからこそ、言語が目的ではなくコミュニケーションツールという手段としての力を発揮する。そしてそれができるのは、日本人の英語教師であると思う。


4.2おわりに

 私には夢がある。それは私にたくさんの夢や可能性を見せてくれた教育学、英語教育学のフィールドへ貢献できる人間になることである。そのためにも残されたあと1年間の大学生活を悔いのないよう過ごし、社会人になるための土壌を作りたいと思っている。