紅組の僕達の卒業式が終わり,やっと一つの区切りがついたところだ。
この一年間,多忙のため何処にも行けなかった自分に対するご褒美として,学校の年度末(3月末)には,
私のことを誰も知らない海外に行って,ぼーっとのんびり過ごしたいが,そういう自由を与えてもらえずにいる今日この頃。
それなりに毎日を謳歌しているのも事実なので,あまり不満はいわないようにしようと言い聞かせながらの日々。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
内田先生のブログに,また興味深い記事が載っていた。。
「不便さと教育」http://blog.tatsuru.com/
このタイトルだけで言わんとする内容が予測できるわたしは,
多分内田先生の弟子だったら,一番最初に可愛がってもらえるタイプだと思う。(勝手に)
(本文抜粋)
もし、本気で教育機関としての優秀性を難関校合格者で測定したいと思うなら(誰が思うか知らないが)、高校入学時点で複数の高校に同数の生徒をランダムに配分して、「よーいドン」で教育して、3年後の東大合格者数やTOEICスコアを比べればいい。新薬の治験と一緒である。ランダムにグループ分けして、こちらにはA高校の教育をほどこし、こちらにはB高校の教育をほどこし、3年後の同じ試験を課して学力を測定すればとりあえず教育プログラムの限定的な効果についてはデータが手に入るだろう。でも、そんなことをしている学校は日本のどこにもない。やろうという人もいない。教育機関の質の指標をそのような数値で示すことが実は無意味なのだということをみんなほんとうは知っているからである。
というのは「この教育方法でやってみたら、うまくゆきませんでした」ということを教育する側は絶対に言うことができないからである
(中略)
そこで何が行われているのかわからないし、そこで講じられていることにどんな有用性があるのかよくわからないけれど、「なんだか知らないけれど、そこに行って学びたい」という若者たちが蝟集してくる学舎が教育機関として結果的に高いアチーブメントを示す。私たちが知っているのはそれだけである。教育機関の質はそこで学んだ若者たちがそれからあとなしとげた仕事の質によって見るほかない。そのときはじめて「これほど優秀な若者たちが一堂に集まった学舎はきっとすぐれた教育プログラムを行っていたに違いない」という推論が成立するのである。ある教育機関の質は、そこで学んだ人々のその後の生き方を見ることで事後的に測定するしかない。
(中略)
私たちがある学校の卓越性や瑕疵についてのエビデンスを得るのは、いつだって「もう遅すぎる」ようになってからなのである。
(中略)
私が30年の教師生活の経験から言えることは、教育において、教師からの「働きかけ」と学ぶものが示す「成果」(もっと散文的に「入力」と「出力」と言ってもいい)の相関は「よくわからない」ということである。ある学生にとって「学びのトリガー」となったような働きかけが別の学生には何の感動も与えないということがある。こうすれば必ず学びが起動し、学生たちの知的ブレークスルーが始まる、というような「一般的な」教育技術というものは存在しない。残念ながら。
人間は実に多様なきっかけによって心を開き、心を閉じ、学び始め、学ぶ気力を失い、成長を開始し、退行する。私たち教師が言えるのは,「経験的に比較的効果的な方法が存在する」ということだけである。その方法さえ教師ごとにみな違う。だから、教師たちが集合的に「正しい教え方」について合意形成するということは決して起こらない。
同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのときの教師の言葉の意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分の経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的な連続」として再編集する。必ずそうする。過去の出来事の意味は現在の自分の状態に基づいて、そのつど改訂されるのである。だから、過去の出来事が意味の改訂を拒絶するというのは人間が成長を止めたということと同義である(それゆえ、意味の改訂を拒絶する出来事の記憶のことをフロイトは「トラウマ」と呼んで治療の対象としたのである)。
(中略)
「効率」というのはもう変化することのない価値(人間的尺度からすれば「死物」としての価値)を抽象的に切り出された単位時間で除して得られるものである。そのようなものを数値的に考量したり、比較したりすることに学びにおいてどれほどの意味があるのか、もうこれ以上の言葉を継ぐ必要はないだろう。
(わたしのコメント)
今取り掛かっていることの意味は,20年,30年後くらいに分かるということなら,その頃わたしはおばあちゃんの世代ね。そういうことよ。