ひとつ前のブログで紹介した本の中で,上野千鶴子さんが「理想の子育てとは」を語っているシーンがある。
古市: もし,上野先生に子供がいたら,どんな子育てをしましたか?
上野: そうね。私よりももっと合理的に生きるようにすすめるわね。(笑)あとは,どんな時代でもどんな場所にいても,どうにかして生きていける才覚を身につけさせるかな。
古市: それは勉強以外でってことですか?
上野: 勉強っていうのは,ほんのちっぽけな集団でしか価値がない。世間に出たらどんな成績をとったかなんて問題にならない。でも,まあ,語学力は絶対にあったほうがいいわね。生きいていく世界が広がるから。子供がいたら,世界中連れ歩いたと思う。あと,何かもう一つ,特別なスキルがあるといい。
古市:食べていくためのスキルってことですか?
上野:そう。それは,自分の好きなことじゃなくて,人の役に立つスキルってこと。マッサージとか,調理とか,やってあげたら他人に喜ばれるようなスキル。
・・・・・・・・・・・
実際,世のお母さん方は,上野さんが言われているような子育てをしたいと思い,皆インターナショナルスクールに入れる。
語学を身につけさせるのは,自分で世界を広げていく力になるというのは,
上野さん世代の親たちよりも,その子供の世代(ギリギリ私が入る感じ?)の方が考えていて,上手く様々な機会を利用しているように思う。
私も,息子を連れてアメリカに2週間滞在したことがある。
あの時の私は,英語が話せることは確実に世界を広げてくれると信じて疑わなかったし,語学を身につけるには早いに越したことはないと,経験上知っていた。語学が,その子の人生を幸せにしていけるかどうかはともかくとして,今も出来ないよりは出来た方が有利なのは頭では分っている。
私と同じような目的で,子供を連れてきたお母さん方の多いこと。今でも,彼女たちのちょっとした会話の内容でさえ思い出すことが出来る。
私の世代は,大学の先輩や後輩も海外を拠点として仕事をしている人が多い。
神奈川の地元に帰れば,サラリーマンをしている小中学校時代の同窓生達は,外国で仕事をしたことのない人の方が少ない。
その分,バラ色の異文化海外生活でない経験をしている人も多いので,円安で,外国に行くことが夢のまた夢であった時代の若者に比べれば,海外生活を冷めた目で見ていて,とても現実的である。
そして,
英語の教員が一番外国と縁遠い気がしている。
・・・・・・・・・
語学が堪能なことも,生きていくためのスキルの一つなのかもしれないが,
それだけではどうにもならないことも,経験上分っている。
海外留学できた人は,ほんの一握りしかいなかったであろう1960年代に青春時代を送った上野先生を,むしろ私が羨ましく思っていることの一つは,
先生が,過去や現在,未来を分析し予測して,提案することにおいて,自分の思い通り,自由自在に,しかも的確に,言語表現できるスキルを自然に身につけられてきたことだ。その部分は,語学だけ磨いてもどうにもならない。
だから,母語で表現力をつけることが絶対的に必要だし,自ら深く考え最善を求め,他者と考え方を交換し合う機会をできるだけ多く持つことが大事だ。
意識してそのような機会を持たなければならない世代と,否応なしにそういう機会を持たなければならなかった世代は,語学と同じで,そのスキルには随分と差がついてしまう。
しかし,一体,表現力のスキルは努力してどうにかなるのもなのだろうか?
■□■□■□■□■□
坂東眞理子さんが,「親は子供に釣った魚を与えるのではなく,魚の釣り方を教えなくてはならない。」との名言を残しておられる。釣り方を教えるには,親がまず子に示さなければならない。大人である親が,充実した日々を送り,成熟した人格を持し,自立した人生を送る必要があると思う。
以前,米軍基地の移転問題や反原発のデモ行進がテレビに映った時,
「お母さんもこの人たちみたいにしたことある?」と息子が聞いてきた。
「あるよ。署名も何回もしたことあるよ。」と伝えたら,
息子から,ニコニコした笑顔で,「良かった。」っていう言葉が返ってきた。
世の中のただならぬ動きを知り,子供ながらに善悪の判断をし,自分も何かしたいと考えたのだろう。まだ小学生である自分自身は幼すぎて何もできないと,もどかしい気持があったのかもしれない。
親である私が,私自身の意志で実際に働きかけているということが,どんなに子供自身の心を安心させ,勇気づけさせたことだろうか。その行動は,彼を代弁することにもなっていた。親自身が,自らが正しいと信じることを実行することが大事であることに,改めて息子の言葉から気付かされた。
「勇気」をもった堂々とした人物に育てたいのならば,そのような人物に親自身がなることだ。それが「釣り方の見本」の一つに成りえる。