誰にでも代わりを務めることのできる労働者の育成と安心・安全なシステムの構築について | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

内田先生が広島で中高生を対象に講演を行った様子が「内田樹の研究室」に書かれてあった。

http://blog.tatsuru.com/

日本で述べられているグローバル化とは何か?というものだ。



現在の日本社会が,東北大地震や福島第一のなどでの緊急非常事態に置かれた中ですら,他の国のようにテロや人種間抗争,商店の略奪などの実際の混乱がないのは,社会システムが安定しているからだということを述べられている。

そして,日本が円安なのは,そのような混乱期にあったとしても日本の社会が安定しているからだと言われる。

 

 日本の社会が安定しているのは,どうしてなのか?っということについて考えてみた。


これは一重に,人が関わりたくないような面倒くさい仕事を,見返りを要求することなく自らの意志と善意(だと信じ切る形)で働いている人が未だ大半を占めているからだ。」と私は思っている。



 上記の事は,毎年町内活動の何かの役を引き受け,地域の住人として暮らしてみると,また保護者として子供達に関わっているのを経験していくと,また,仕事上のもろもろの事を経験してみて肌で感じる。



 面倒くさいことには蓋をして極力近寄らず,他人任せにしても成り立っている世の中とは,実は代替可能なシステムだからだ。面倒くさいことを進んで自分の事として捉え,取り組む人が居る世の中は,安心して暮らしていける。



内田先生は記事の中で,日本の教育が「十分に規格化されていくらでも替えが効く人材に仕立て上げる。」ということを批判されているが,このような人材を出来るだけ多く作ることによって,実際の日本社会の安定が得られていることを私は肌で感じている。



多分,内田先生も分っていて敢えて述べているのだろう。



先生が日本の教育が人形焼きの型のようだと言われていることや,先生自らがパーソナリティーのラジオ番組に寄せられる一般人からの投稿がどれも似通っていて顕著な差がないと言われていることからも,そのことは推し量られる。



しかしこのことは,一見矛盾しているようで,矛盾していないことなのだ



誰にでも代わりのできる仕事に就くことは,個人的には自分の価値を下げることになる。しかし,全体からみればそれは安定を保つ為の価値あるものなのだ。



「労働力として誰にでも代わりが出来るような人材になるべきでない。」という部分は,内田先生は矛盾している。誰にも代わりが出来るような世の中で無くなれば,社会は間違いなく混乱するからだ



「面倒くさい仕事を進んで気づいてやる人間達」が使われ損になっているのが今の社会状況だと私は思う。だから逆の意見を出す人が出てくるのではないだろうか。よっぽど,そういう面倒くさいものを「行う」ということが,自分自身の中で優れたことだと誇りに思えるような立派な人物(こういう人が成熟しているというのでしょうか?)でない限り,自ら面倒を行う人は居なくなる。

日本社会の安定を賞賛するのは,日本人自身の美談でしかないのかもしれない。こうなったら,指導者としては少しでも良いところを取り上げ褒めちぎるしかないぐらいの感覚なのだろうか, しかし, 今の十代の知性は鋭く察して動くと思う。私達大人が思う以上に敏感で柔軟性があり賢い人もいる。



日本のシステムとして功を奏している例として,「人形焼きの型のような教育の在り方」があった しかし,これは現在崩れつつある。

実際,現状は崩れ過ぎて手遅れである状態なのかもしれない。



自らの利益をゼロにしてまで,自分以外の人や社会のために貢献しようとする人間を嘲笑ってきた人達が,世の中の中心にいまいか?

発言権を得て私利私欲でのさばっていないか?

他人のために自己犠牲をしてきた人を,ゼロなのはあなたが自ら欲して望んでやってきたことでしょう?

自己責任でそうなったのだから仕方がないと述べてないか?



何が正しくて,何が間違っているのかを全て誰かに託していた時代から,自分たちで考えて自分たちで行動しなければならない自己責任の時代へ,大きく変換していく時代において, 内田先生を含む多くの年配の方々はどのように感じておられるのだろうか。先生たちの50代,60代の世代は,自身に偽りなく,悔いなく正しく生きてくることができましたか?後輩たちを利用して上にのさばる嫌な人間ばかりを表に据えてないだろうか?結局,誰が主役だったのか? 主役は本当に目立たない民衆ですか?



善悪の判断基準が大きく変化しつつあるのを,私は肌で感じている。



疑問に思いながらも,内田先生のおっしゃることが興味深いのは,嫌いなもの,駄目なものをはっきりと述べるからだと思う。ぼやかして誤魔化さない。



下のこの部分なんかは,とても共感できる。私の周りにはこういう人が多いからだ。こういう人が大半だからだ。残念だけれどもね。私もこういう人間は信じていないし,信じてはいけない。こんなことを堂々と述べるのは,若い人々を焦らせて,利益を得たい狐のような人達だよ。




(以下抜粋)

「グローバル人材」とか「キャリア教育」とか「教育投資」とか「自分の付加価値を高めろ」とかいう人間を信じるな。
そいつらは君たちを「英語がしゃべれて、ネットが使えて、コミュニケーション能力があって、一日15時間働ける体力があって、そして十分に規格化されているのでいくらでも換えが効く人材(つまり、最低の労働条件で雇用できる人材)」に仕立てることで、最低の人件費コストで最大の収益を上げることを求めてそう言っているわけであって、君たちの知性的・感性的成熟には何の関心もないのだ。



成熟さに必要なのは一体なんなのですかね?

これも自分で考えろ!ですか?