ヤフーの質問コーナーに面白いもの見っけた!(全部コピペ)
Q:なぜ京都の方は曖昧表現を好むのですか?
京都の言葉について調べています。曖昧で、他府県からみたら理解の難しく感じます。地元の方はどのように考えるか、また他府県の意見もよろしかったら教えてください。
A:京都です。今、古い住宅街に住んでいます。
ストレートにモノを言わないのは、京都に限らずそもそも日本人の美徳だとわたしは思います。
たとえば今年はねずみ年ですが、ストレートにねずみでねずみ年を表現するのではなく、ネズミと縁の深い大黒さんの俵や打ち出の小槌だけで「今年はねずみ年ですよ」を表現したりするような美しさはわたしが大事にしたい、好きな部分です。 そしてそれが極端に残っているのが京都の中心部の人たちなのかなと。しかもそれをうまくいじわるな方向にも利用している。
よく、「ほうきさかさにしたらはよ帰れ」とか「ぶぶづけでもどうどすか」とかを記号的に「京都の婉曲ないじわるな言い方」として紹介する人がいますが、実践としての「京都のいけず」はそんな「Aと言われたらBという意味」みたいな簡単な話ではありません。 わたしはこの地域では新参者なのですが、その婉曲な言い方で近所のおばちゃんに激しく試された経験があります。「この子はこういう言い方でわかる子なのかどうか」ってとこですね。わたしは「わかる子」だったようですが冷や汗かきました。
婉曲に物事を伝えるのは、伝えるほうも伝えられるほうもストレートに言うより頭使いますから、他人をいろんな意味で試すのにはちょうどいいのでしょう。そういうわりとはんなり見えて実は殺伐としたやりとりなところがわたしはスリリングですごい好きですよ。
これ読んで,日本語・日本人は,質面倒くさいっと思ったよ。よっぽど英語圏のほうが楽なんじゃないかと思う。日本人の意地悪いところが凄く出てる。(女王様)