上智大学 渡部良典さんが,ARCLEのシンポジウムの中で,
1つの調査として教員の能力を測定するテストを作ろうとしています。これはペーパーテストだけでなく自己評価です。英語の教員に必要とされる英語能力、日本語能力、その他の言語能力、あるいは教師としての技能というものもあると思いますので、それらをはっきりさせたいと思っています。例えばNorris1) は、「言語に関する知識」「文化に関する知識」「指導に関する知識」「複合的知識」と言っています。「複合的知識」とはわかりにくいかもしれませんが、socio-cultural knowledgeやstrategy、communicating with students, parentsなど、コミュニケーションの能力も問われてくるでしょう。そのようなものを体系化したいと思っています。
と言われていた。
人を数字で表して判断する方法をすべてにおいて採用することは,
私はあまり好きではない。
世の中の殆どは数値化できないものだということを,私も実感しているからだ。
しかしながら,もし数値化してみようと試みるなら,「言語」に関する知識に関しては,言語そのもの知識の他に,言語とは,そもそもどういう性質で,どのような働きがあるかも問うような質問を入れた方がいい。
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大学生の英語力がないのは高校のせいだと言わんばかりの口調にかなりムッとする。そうやって,ご自身の足もとにいる,すぐ隣の大学生たちのことをどうにかしようとせず,学校現場に介入してきて,とやかく言われ,分析され叩かれ,そしられる。では,ご自身ですべてやってみてくださいと,2,3年の間現場に来てすべての仕事をしてみてくださいと私は言いたい。
大学の教育研究者は何をなさろうとしているのかしら?っと疑問に思う。
そもそも日本人全員が同じように英語を話せねばならないなどという考え方も疑ったっほうがいい。外国語を身につけるには相当の覚悟が必要だし,そう簡単には自由自在に操ることなどできない。身につけたいと強く思った人のみがあらゆる機会を使ってその能力を開花させていくもの。誰かにやらされていると思っている間は,全く身につかない。
様々な研究会の話をお聞きするにつれ,
本来の目的からずれてきてしまっているのではないかと思うのは私だけだろうか。
人としてどうあるべきか,何をどのようにしていくのか,どのような人物が望まれているのか。全体像として見ていくことも必要ではないだろうか。特に英語教育には。
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先日,
三菱商事にお勤めの,香港在住の20代後半のビジネスマンが,仕事を辞めて最近こちらに帰郷してきた話を聞いた。
彼は英検1級,TOEIC980点という資格の持ち主だ。
今年,教員採用試験を受けるらしい。
現在は,小学校英語のお手伝いをしているそうだ。
そういう方が学校英語の職に就こうとしているのを知り,すごく頼もしく感じた。
以前の学校には,国語科の先生にも英検一級取得の方がいた。
英語教員ばかりでなく,むしろそこにいなかった方々が入った方がまっとうな議論ができそうな気がする。
内輪の中だけでは,狭くて行き詰るし,なんの成長もない。不快な目にあうだけだ。