性同一性障害 在学途中で性別変更 | 女王様のブログ

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性同一性障害 在学途中で性別変更

 心と体の性が一致しない性同一性障害と診断された小学2年の男児(8)について、埼玉県内の公立小学校が昨年9月から、女児としての通学を認めたことが12日、地元教育委員会への取材で分かった。  

教委によると、男児は幼稚園のころから「女の子になりたい」と主張。小学校入学後はトイレで立って用を足したりすることに苦痛を感じ不眠を訴えた。母親の相談を受けた市が、医療機関で診断を受けるよう助言。昨年3月に性同一性障害と診断され、主治医は「就学などの適応を阻害しないよう、女性として扱う配慮が望ましい」との意見を付けた。以後、児童は時にはスカートをはいて登校、女性職員用のトイレを使うことも認められた。学籍は男児のままだが、体育の授業などでは女児として整列している。

■指針なく文科省 苦慮

 性同一性障害の児童生徒に、学校はどう対応すればいいのか-。支援団体から国の指針を策定するよう要請されている文部科学省 は、今後の方向性を探りかねている。障害がある本人の苦しみは大きいが、実態把握さえ困難との指摘もあり「どうしたら良いのか、正直分からない」(文科省 職員)というのが実情だ。

 「障害が顕在化している場合は、まだやりようがある。だが、本人が告白したくない場合や障害に気付いていないケースすらあるだろう」と文科省 幹部の一人。「そもそも国が一律に指針を示せる課題なのか」と疑問を投げ掛ける。

 一方で、省内には「保健の授業で障害をきちんと取り上げるなど、学校現場でも理解を広げていく努力は必要だ」との声もある。川端達夫文科相(65)は12日の閣議後会見で「本人の思いを最大限尊重してあげるべきだ。法的制度など幅広く政治の立場で検討する時期に来ている感じはする」と述べ、今後の対応に含みを持たせた。

不登校 、自殺未遂も

 「性同一性障害をかかえる人々が、普通にくらせる社会をめざす会」の山本蘭代表は「特に体が男の子で心が女の子の場合は親にも言い出せない児童が多く、表面化しにくい」と指摘。障害のある男児が髪を伸ばし始めたら、教師に頭ごなしに怒られたというケースもあり、不登校 や自殺未遂など深刻な事態に結び付く可能性も高いという。

 今回の埼玉県の事例に、山本さんは「保護者の必死の働き掛けで、学校がようやく対応しているのが現状。国は全国的な事例を集めて現場に還元してほしい」と話している。


(私のコメント)

つい先日ジェンダーについて学んだばかりだったので,この記事は非常に興味深く思って拝見した。

その時初めて,トランスジェンダーという言葉も知った。

同性しか愛せないとか,自身が生まれもった性に違和感を感じている人たちは表に出てきていないだけで全体の3%にも及ぶと聞く。


日本人にはまだ一般的に認識が浅いので,もっと知っていく必要がある。


ニューヨークでは,ある高校生が同性愛者で,好きな男性に告白したら,その男性からひどいいじめを受け,暴行を加えられ死亡するという事件が4年ほど前にあった。ちょうど私もその事件後ニューヨークに滞在していたから,その凄惨な生々しい話をお聞きし,ショックを受けたのを思いだす。


ニューヨークのある教会には,宗派にこだわらず世界中の宗教のいろいろなものが祭られている。もちろん日本の神道もあった。


その教会の一角に,その高校生の遺影が祭られ,たくさんの献花がなされていたのを思い出す。


アメリカという国はそういう国だという印象がある。つまり,すべてが融合している感じ。いろんな意味での地球市民。


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十代の終わり頃,

実際にトランスジェンダーの人に会った私は(最初はイギリスです。),認識不足で,どこの星の人間なのかしら?のような違和感があった。(自分のことを棚にあげ得意げ


私の世代は少なくとも,同性愛者に関するそういう教育などなかったので,特にそのように感じていた。ドラックやエイズの話題も,同性愛者がなんだかあまり良くないような印象を持たせたような感もある。(高校時代は,有名な男性歌手が実はゲイで,麻薬使用のため逮捕された事件もあった。)


その後,ゲイだと公言する友人もできたりして(レズビアンは一人しか会ったことがないけど),認識は一変する。


今は,気兼ねなく話ができる不思議な存在。

西原恵理子は,ゲイの友人が,旦那とすったもんだあった時によく相談にのっていたと聞く。子ども達の面倒も見たと聞く。


2つの性をある意味知っている存在は,結構面白く,人間愛に満ちていたりする。


何がまっとうなのかという考えなど,

案外思い違いで,滑稽であることも多い。


まだ,子供達からの相談は受けていないけれども,

相談をしたいと思えるような雰囲気を持って接したいと思う。

どんな人でも居場所を作れる私でありたい。