同僚が,
僕らは,どうせauthenticにはなれない。fakeな英語しかできない。いくらネイティブの英語を真似てもネイティブと同じ英語は出来ない。
だから,fakeはfakeでいいんだと思う。
って,言うのね。
でも,
私達は,現にここに存在していて,教育というものに携わっているわけだし,私達の存在がfakeでないのと同じ様にauthenticでありたいのよね,私としては。
だから,私は寺島隆吉先生の言葉をかりて,
「日本人による日本人のための日本人のauthenticな英語」であればいいと思うの。
ALT達だって,インドやシンガポールなどは俺達の話している英語とは別物であるように,日本もそのようにしたらいいと言っているのだから,そうすればいい。
っていうか,それがいい。
寺リン,ナイスな考えありがとう,そして,どうすれば私達はそれを広められるのかしら?
そうでないと,日本の教育システムを全部否定することになるから。
私たちが,色ものみたいに,いつも存在するのでなくて,もっと堂々と私たちの英語はfakeでない。authenticですと言い切るべきよ。ここが,英語教師が一番戸惑い迷って苦しまされるところなのだから。
私たちの存在がfakeでないように,私たちの話す・使う英語は決して英語圏のものと同じでなくていい。
そうじゃないかしらって,私は思う。
Yes, We are Jananese!