全体主義になっている組織には,皆入りたがらない。
最初っから会社や組織のために身を捧げて頑張ろうとする人はいない。
組織や団体のために頑張ろうとする人たちには,なんらかの人との触れ合いがある。忘れてはならない恩がある。本当に大変な思いをした時に,助けて支えてくれた人がいるから,その組織や団体のために頑張れるんだ。
友人や恋人や家族の関係と同じで,人とのつながりを深める上で大切なのは,そういう支えだ。
この人しかいない。この人は絶対に私に必要なんだとか,私がこの人には絶対に必要なのだという意識をもてることが,頑張れる理由になる。それが組織になるだけ。
教科として,英語科は一つにまとまりづらい。
最初からそういう運命だったのでしょうから・・・(知っていたらならなかったのですけど)今からじゃ,あとの祭り。愚痴ってもしょうがないのでやるしかない。
何を求めて何を望んでいるかが,その団体の理念とか行動に合致していないかぎり自ら進んで所属したいとは思わないものだ。
皆,毎日が怒涛のような生活の中で一杯一杯なのだから,
そこを癒してくれるというか,励ましてくれるというか・・・そういう場所でなければ,人は集まらない。あぁ,ここに来てよかったなぁとか,ここに居てよかったなぁなどと思えるような環境を提供できないと人は集まらない。
一人ひとりの人の繋がりがあって,同じ悩みを共有できるような,そういう場でないと人は集まらない。本音で話ができて受け止めてもらえて,ホッとするような場でないと人は集まらない。
見掛け倒しの中身のないのも,最終的には駄目だろうな。
一時期だけ周りの目を誤魔化すことはできても,永遠には無理だ。
表舞台で華やかにやっているように見える人間は,もう少ししたら消えていくに違いない。
だってそんな人間に本当の悩みが分かるわけがないっていうことを,現場は感じているし,実際かなり冷めた目で見ている。
それに,私ははっきりとこの耳で聞き,この目で見たのだもの,狡猾でだらしない,情けない馬鹿な元教員の言動を。私は,学校まで脅された。現場を利用して絶対に許さない。絶対に。
現場が耐えられないから,出て行った人間に誰が教えを乞うものか。
現場を利用しようとしている人に,本当に悩んでいる人たちや真剣に考えている人たちの心を動かすことはできない。
私はずっと,誰が真剣に本当に悩んでいる子供たちや先生方の味方なのかを探している。そして,今までのところ,寺島先生や江利川先生のお考えが,現場に一番根ざしているように感じているのだ。先生方がそのリーダーとなって,私達を導いてくださらないだろうかと考えている。
本当にどうにかしないと,このまま共倒れになるかもしれない。
今まで調子よくやっていた嘘吐きの馬鹿を絶対に負かしたい。私は,今に見ていろよ!っという気概でやってる。
英語教育は,そこまで朽ちていないもの,まっとうな人間の方が断然多い。
変なのが前に出てしまっているから,理解できないだけだ。それだけだ。
教育現場は,目立たず健気に陰で支えている先生達でもっている。
そういった人たちがホッとするような話ができる方々が,寺島先生や江利川先生だと思うのだ。
知的で力があって,外から私達を決して見ない。中に入って一緒に悩んでくださっている。(少なくとも私はそのように感じる。)
しかも,どのようにあるべきかを明確に示してくださって行き詰まることのない先生方の姿勢が,英語教師のあるべき姿だと私は感じている。
先生方を全面的に支持したい。いや嫌がられても支持する。絶対,間違いなく。