今まで私がかかわってきた子供たちの中には,本当に逃げ出したいほど大変な環境で頑張っている子がいたし,今もいる。
そしてそれは本人が打ち明けてくれることもあるし,他人に言っていなくてもその情報が入ることもある。
父親が酒乱で,唯一頼りにしていた母親が末期癌を患っていて余命があまりなく,大変な中頑張っている子。
なんらかの理由で児童施設から通っている子。
父親が莫大な借金を負って家族離散し,叔母さんに預けられている子。
母親が精神を患っている子。
明らかに姉としか思えないくらいの年齢の継母と異母兄弟のいる子。
兄弟が多いのに,母親が家を出てしまってその日のご飯も食べれていない子。
酒乱の父親から殴られて,目を真っ青にしていた子。
仮死状態で生まれて,その時の後遺症で障害を抱えながらも頑張っている子。
骨肉腫で十代半ばでこの世を去らなければならなかった子。
壊れそうな自分の心に鞭を打って,何もないかのように元気に挨拶してくれた,いや今も皆そうしてくれている。
そういった子供たちのことを考えると,私は一つ一つの場面で一つ一つの言葉をその子に一番届くように,祈るような気持ちで送る。時には言葉のない笑顔だけのこともあるけれども。
そして,逆に私は彼らから元気と強さもらっている。彼らは,いつも純粋で真っ直ぐで怖いほど強い。
その強さに負けないくらい私も強くなれるように頑張りたい。
かえって君達から生かされていることを私は自覚しているし感謝している。
現場一人ひとりの子供たちに関わり,彼らを知っていくことが,私には幸せなんだと改めて感じる。
子供が好きなんだ。子供の嫌いな教師は教師でいることが苦痛でならないはずだ。
私は子供が好きだがらこのように思える。
いつも彼らの応援団でいたいし,何かでつまずいたとしてもいつも励ましてあげられるように,私はありたい。
自分の悩みなど,この子たちの悩みに比べたら石ころのようなもの。それに気づかせてくれる人がいることの幸せを感じた一日だった。
追伸:
できれば,このような気持ちでいつも日々を送りたい。毎日感謝と喜びと楽しみとで・・・。
作家の阿木耀子さんが言っていたのを思い出す。
「めでたい,素敵ね,ありがとう」という言葉をご夫婦で意識的に交わされること。
まずは言葉から。
一日が良い日で,一瞬が良い時だったら,一生もきっと良かったといえるはず。そう信じよう!