黒岩さんの講演のあと,
明日の朝のパンを買おうと思い,町の中心部に繰り出したら本屋が見えて入る。
小学館が出してる教員向けの小5の雑誌をちょっと覗いてみた。(立ち読み)
得意の座談会が載っている。京都府の小学校の先生方中心だ。若い先生方ばかりを出してる。どのような人選をしたのでしょうかね。疑問に残るところだ。もちろん新旧の調査官も発言。
そう,言っていることがおかしいことに気付いていない人達の自己満足の会だ。しかもそれが活字になっている事実。
自分が言っていることに酔っている感じが非常に気持ちが悪い。この人達の説得力は全然無いのですけれども・・・。いつもの自画自賛だ。
最後に,直山さんが,英語は勿論だけれども,小学校で教えている算数も国語も他の教科もコミュニケーションですよね。って?
へっ?そーなの?じゃーあえて英語でしなくてもいいのではないかしら?っと感じたわけだ。
このコミュニケーションの定義はこの方達の中でどのようになってしまっているのかしら?
コミュニケーションって,そんなに容易く使っていいものなのかしら?
今日の講演で黒岩さんが,
ワケのわからない言葉に踊らされることは非常に危険と言われていた。
「コミュニケーション」の本当の意味をこの人達にしっかりわかってもらった方がいいのではないかしら?
変だと気付いていないことが非常に変だし,この雑誌を手にした人達はちゃんと言ってやったほうがいい。
これを英語に訳して世界の識者に意見を求めたら,相当にけちょんけちょんにされるはず。
なんでちょっと考えればおかしいと分かるような会の文をそのまま載せるのかしら?
小学校だからなのかしら?
言っている調査官達は,現役で小学校にて教鞭などとっていないのだぞ!
小学校の先生方はもっと本音で話をした方がいい。言いたいことが一杯ありますよね。私知ってますよ。