2009年7月26日(日)朝日新聞
「教育~教える」欄 「ウォッチ」コーナー
英語重点化、なんのため?
ある学生に「ニガイ」と言って通じなかった。「第二外国語」の名称が使われなくなっただけではない。
多くの大学でいま、英語以外の外国語を必修から外す動きが広がる。取材でどの教授も口にした「まずは英語」に異論はない。
学問でもビジネスでも英語が共通語になり、「二つ学ぶのは非効率」と言い切る学生の気持ちも分かろなくはない。
でも、グローバル化時代への適応の強迫観念にかられるあまりの英語一辺倒には、疑問を感じる。
ついでに言えば、小学校の英語必修化にも。 言葉は道具だが、鍋やヤカンのような純然たる道具ではない。他言語を学ぶ意義は、他者を知ることだろう。
それは、自分が属する文化や社会を見つめ直すことにつながる。
仮に世界中の人が英語でつながっても、例えば日本人と韓国人や中国人
が互いの言葉を学びあう重要さが消えることはないはずだ。
自らを省みることのない外国語熱はむなしい。 最近の「核持ち込み密約」報道での政府の答弁にはあぜんとさせられた。日本は表向きは一時寄港も含め核兵器の持ち込みを禁じているが、米側と英語ではtransit(寄港)とintroduction(配備・導入)は区別されている。
米国で密約を裏付ける公文書が公開され、寄港の事実が証言されても、日本政府は「持ち込みはない」と強弁し続けている。これでは、非核三原則は日本語を話す日本人にしか通じない虚構と言われても仕方ない。
英語も大切だが、まずは、地に落ちた我らが母語の信用性を高めたい
ものだ。
興味深い投稿だな。気になったのでメモしておく。