仮想世界(TVゲーム・インターネット・携帯・メール)に侵食され始めた子供たちの現実感覚は,さらにいろんなかたちをとって大人たちに警告を出し続けている。
【こころの闇】
まるでゲームのように,否,ゲームとしてホームレスの人達を襲撃し殺してしまう事件。尊ぶべき命の重さが分からず,自分以外の他人にも人格や人権があることを自覚できず,聞くに堪えないレイプ殺人事件。頻繁おこる性犯罪。
「エロゲー」と呼ばれるゲームまで出てきて,子供時代から青年期にかけてまで,生の人間との関わりあいを持たずに成長してきてしまった人達。
人の生死が「もの」と化してしまう感覚。また,友達や親友,あるいは恋人といった人との深いかかわりあいも,それがもたらす楽しさや喜び以上にわずらわしさが先にたつ。その結果,欲求や衝動は,テレクラや援助交際といった「ごっこ遊び」の中で処理されていく。
こういった世の中にさまようよう子供たちに対し,報道メディアはお決まりのように,「今の子供たちの心の闇は?」といったタイトルで迫っていく。
まるで,今どきの子供たちは,大人たちとは違う,これまでにはない「なにか恐ろしいもの」を心の中に宿しているかのような扱いである。果たして,本当にそうなのか?
人は,もともと種を絶やさぬようにと,動物としてのいろいろな欲求や衝動(むさぼりや怒りなど)を持ち合わせて生まれてくる。
しかし,同時にそれらは,程を過ぎると自滅へと繋がる闇のようであることもおのずと分かり合ってきた。そのため,その闇には蓋をしてむやみやたらに開けないことを,昔話という先祖代々からの教えの中で伝え継いできた。「人を欺くと鬼に食われ・・・人を殺めると張りの山地獄というところで・・・」といった具合である。子供たちは,それぞれに自分だけの鬼や地獄を心に思い描き,自らの闇に程ほどに蓋をして生きていくことを覚えた。
ところが,いつの頃からか大人たちが,蓋をあけて闇をみせることで,お金儲けをし始めてしまった。お金さえ払えば,想像をはるかに超えた世界を,まるで現実かのように映像で見せ付けてくれる。人が思いつく以上の増幅された闇の世界が,レンタルビデオショップのホラーやアダルトコーナーで,否,最近は自分の携帯の画面上でいつでも蓋を開けて待ち受けている。そこへ入り込み,しまいには戻れなくなってしまう子供たちを誰が責められようか?
【子供は変わったか?】
これまで,今という時代の子供のあり様と,それを取り巻く世の中の状況についてみてきた。
感覚を言葉で包んで感情に変えることを教えてくれる大人の喪失。
その寂しさを埋め,子守をしてきた言葉の要らないTVゲームの世界。
キレそうな自分を収めてくれる大人の喪失。
仮想世界のもたらす錯覚や倒錯と思い込みの世界から抜けることが出来ないどうしようもない状況。
「こころ」の闇の蓋が開け放たれ制御不能となった欲求や衝動。
これらのどれについても,一つとして子供が勝手にやってきたことではないことは明らかである。むしろ,子供は,バブルという世の中がもたらした衝動と欲求の渦巻く闇の中で,懸命に生き延びてきたサバイバーといえる。子供が変わったわけではない。子供の「こころ」の器を作る世の中が変わったのである。