良識ある信頼できそうな英語教育を研究されている先生 | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

女王様は,現場の英語教員としてのここ4,5年の理不尽な扱われ方(以前にも言及したこと)をしたこと,文部科学省の人間から権力を使った脅しを受け,しかもそいつを追及することなく天下りをさせていることに関してものすごい憤りを感じている。


小学校英語や学習指導要領の改正もしかり,現場の人間が肌で感じている事をなんで伝えたらいけないのかとずっと疑問に思っていた。


私は,そのことで自分自身の学校を脅された。そいつのおかげで管理職に厳重な注意を受けた。

その後,あいつが年収分に相当する口止め料を払っていることも伝え,私はおかしくないと校長に伝えたが,ちゃんとした謝罪もなし,一番は支払いを命じられた人間が自身のやった事を棚に上げて,責任追及をした時に狡猾に逃げて逃げて逃げ回り,今も何食わぬ顔でのさばっていること。気持ちのない謝罪の言葉。「はいはい,すみませんでした」??はいはい?,本当に悪かったと思っているのか,あなたは!


絶対に許さないし,犯罪者が放った言葉は一生私の心に焼き付き,これをもって私は現場を利用し生徒を利用する人達と絶対に交わらないこととしそういった狡猾な人間を糾弾し続けることにした。もちろん仕事の中では,私自身,成長をしていきながら。


影で健気に頑張っている先生方の,本当に悩んで苦しんでいる先生方の見方でずっといるつもり。

なぜなら,私自身もその一人だったからだ。いや,実際今も悩んでいる。


民主主義と言いながら,批判をしなければならないことに批判を許さない。ご都合主義の体質をついた教育行政について,我が意を得たある大学の先生のブログを紹介したいと思います。


以下は先生がブログの中で書かれている内容です。


英語教育の哲学的探求2  

http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/blog-post_18.html


日本の英語教育関係者の中には、指導要領が変わる度に自分の意見をすっかり変える人がいます。

そのような人は「これからの英語教育はこうでなければいけません」と勇ましく現場を「指導」します。そのくせ、過去との整合性の説明を求められると「指導要領が変わったのですから、仕方ありません」などと恥じる様子もありません。まるで自分の思考力の欠如を誇っているようです(まあ、そういう人たちからすれば、「自分の頭で考えたい」という「我執」を捨てられない私のような人間の方こそ愚かなのでしょう)

政府が言うことは何もかも反対という態度は愚かですが、政府が言うことには何もかも従うという態度も同様に愚かです。

いや、それぞれの思考放棄が引き起こしうる災厄という点では、前者よりも後者の方が深刻かと思います。

さらに生き方の姑息さという点でも、前者よりも後者の方に私は否定的な判断を下さざるをえません。

一人一人が独立して考え、その考えを互いに表明し合うことにより、批判的に連帯するという民主主義の方法は人類の遺産だと考えます。

少なくとも他のどの分野よりも正確さを必要とする科学という分野では、民主主義による真理追究を是としています。科学には権威主義は似合いません。

おそらくは他のどの分野よりも複合的で微妙な判断を必要とする政治という分野では、世界の多くの国が民主主義を選択し、発展させようとしています(日本もその途中の段階です)。政治は権威主義から民主主義へ移行しようとしています。

日本の英語教育にも権威主義は必要ないと思います。


(以下は私(女王様)の文)

私は,学習指導要領の改正にかんする先生のパブリックコメントの言葉に,

現場の事を本当に良く見ていてくださる研究者の方がいるのだとホッとした。


私自身は,先生が一番分かってくださっているように思っている。現場も含めてそう思っている。


英語教育の研究者の中には,以前現場にいたとしても現場の事をちっとも分からない人間がいる。見て見ぬフリをする人がいる。


しかし,一度も現場にいなくても,現場でとったご経験がなくても,現場の人間以上に現場を心配し考えてくださっている先生のような方もいる。(上記のブログの運営者の広島大学の柳瀬先生だ。)


先生にいつも感謝している。ありがとうございます。


批判を許さない体質。(民主主義でない)



これが,英語教育を駄目にしているのだと私も思います。


どうにかしたい。


私もどうにかしたいと思ってます。