さっき,
ブログの散歩をしていて,
型にはまった生き方を私はしたくないと思いながら,
必要以上にはまって生きてきたのかもしれないと感じた。
5月に会った大学時代の友人の中では,
私の生き方は非常に普通で,見栄えもなく「あっそう」って感じで流された。
よく考えてみると,
彼女達は皆,型にはまった生き方をしていない。
だから,私の生き方がそのように見えるのだろうと推測してみる。
私は,
もっと自由にのびのびと行動した方が良かったのかしらと・・・・・
ふと思うことがある。
この方のブログでそんな事を感じてしまった。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyomiangel/view/200812
人生には何が起こるか分からないジェットコースターのような要素があったほうがスリルがあるのだろうが,
ある程度生き方が見えてきた私に,あえて恐ろしいような場面に出くわす状態に自身を投げ入れる事は,
自殺行為でしかない。
冒険ではなく,それは自殺行為。
親からもらった命を粗末にするようで出来ないはずの行い。
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どのような立場であれ,状況であれ,人には悩みが尽きないと思う。
しかし,実は悩まなくても良いような悩みで悩んでいるのではないかと,
ふと自身を疑ってみるのだ。
意味がないことでも,意味を持たせようと必死にもがいている自身が,
妙に滑稽に思えてきたりする。
もっと,片意地張らずに,自然体でいたいのに。
そもそも,存在することに意味がどうしても必要かどうかも怪しく。
そうなると,全部ゼロで。
ゼロからだと意識すれば,怖いものはないはずなのに,
いいえ,
私は失う事をあまり恐れていないから何でもやってきたのだと思う。
実際,何でもやっている。
そして,
本当は,もう一度自身を試したい衝動に駆られている。
体力も気力も,今なら間に合う。
友人達も,そのように考えて一歩行動に移すのだろう。
でもそのような衝動を抑えきれずに行動に移したときは,
それなりの予期しなかったような結果に対しても腹を据えておかねばならない。
究極の選択。
月光仮面型や鳥の嘴型のマスク購入で,迷うようなレベルでない選択。
こんな風に,
あーじゃない,こーじゃないと迷いながら,私のご先祖様も一生を終えたのかしら?
どこで踏ん切りがついたのか教えて欲しい。知りたい,知りたい,銀座の母でもいいから教えて欲しい。