禿げの髭 | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」という聖句をふつう私たちは「自分を愛することは容易であるが、隣人を愛することは困難である」と解する。
私たちは「自分を愛する仕方」は熟知しているが、「隣人を愛する仕方」はよく知らないと考えている。


だが、それはほんとうだろうか。


私たちは自分を愛する仕方を熟知していると言えるであろうか。


例えば、私たちの国では年間3万人を越える人々が自殺をしている。
彼らは「自分を愛している」と言えるだろうか。


家族の愛や友人から信頼を失って、「こんな私に生きている価値はない」と判断して自殺する人がいたとする。


その人の場合、「こんな私に生きる価値はない」と判断した「私」とその「私」によって死刑を宣告された「私」の二つの「私」のどちらが「ほんとうの私」なのであろう。
それほど極端な例をとらなくても、「自己卑下」や「自己嫌悪」は私たちにとって日常茶飯事である。


そもそも向上心というもの自体が「今の私では満足できない」、「私自身をうまく愛せない」という事実から推力を得ているとは言えまいか。


だから、もし「社会的上昇」や「他者からの敬意」を努力目標にすることが万人にとって「よいこと」であるというのがほんとうなら、私たちは隣人に対しても「もっと自分を嫌いになれ」と勧奨すべきだということになる。


論理的にはそうなる。


そして、隣人が自分自身を嫌いになるためにいちばん効果的な方法は「現に私はお前が嫌いだ」と言ってあげることである。(だから,女王様は面と向かって言ってやった。)

人から「愛している」と言われて、「このままではいけない」と生き方を改める人間はあまりいない。


でも、人から「嫌い」と言われたら、よほど愚鈍な人間以外は、すこしは反省して、生き方を変える機会を求める。(しかーし,大阪出身の禿げは自惚れが強いので効果なし,なので経済制裁をかけた。)


だから、隣人たちの向上心を沸き立たせ、彼らが自己超克の努力に励み、ついには「自分探しの旅」に旅立たしめるためには「隣人に向かって、お前なんか嫌いだ」と言ってあげることはきわめて有効なのである。(そーだそーだ)
論理的にはそういうことになる。


そして、現実にも私たちはそうしているのである。気がついていないだけで。
だから、まわりを見まわしても、「自分を愛する」仕方を自然に身につけている人は少ない。


それよりは権力や威信や財貨や知識や技芸によって、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」という迂回的なしかたでしか自分を愛することのできない人間の方がずっと多い。(嘘ついてまでやりおって)


だが、「他人から承認され、尊敬され、畏怖される」ほどのリソースを所有している人間はごく少数にすぎない。


だから、結局、この社会のほとんどの人間はうまく自分を愛することができないでいるのである。

この太字そのままの禿の髭。気持ち悪いったらありゃしない。