私が赴任した一番最初の学校は,
生徒にこれでもかーっと言うぐらい勉強をさせる
いわゆる進学校だった。
朝7時30分から授業が始まり,帰るのは8時か9時。
先輩達の新米先生に対する指導も非常に厳しかった。
「教員」というものはこういうものなのだと周りから躾けられていた。
私自身が,学生時代水泳をしていたので,水泳部の部顧問であり,。
プールの管理までしなければならない立場であった。
その頃(20代)の私の生活は,すべて生徒や学校の為に費やされており,
子供達にある一定の知識を注入する,教師自身が一種の機械みたいなものであった。
自分が,ある何かのボードに置かれたコマのような感じがした。
もちろん,子供達に近い年齢であり,一生懸命であるから,それでも子供達は付いてきてくれた。
だから,その生徒達とは今でも交流がある。
英語の授業に関して言えば,自らが思い描いていたような指導法(皆を楽しませたい)が,
生徒の学力(ペーパーではかるところの)や,受験の妨げになるといけないので,
ALTの先生を呼んでゲームをしたりすることは,タブーとされていた。
組織の一部となったら,その組織の流れに自らを合わせていかねばならず,
それに従わないものは,全てのコースから外される。
ここの地域では,主要の5科目の先生方が出世コースに乗るには,皆「進学校」に行かねばならない。
私は,進学校では自身の思ったような指導が出来ないと思い,
進んで実業系の学校に転勤をお願いした。
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確かに楽しい授業はできるのだが,
今度はそれが本当に子供達のためになっているのかどうなのかを疑問視するようになった。
子供達の英語嫌いぶりも大変なもので,それを緩和するために,
本当にいろいろな事をやってきた。
何回も挫折し,
一時期,
国語科か,家庭科の教員になろうかとか真剣に考えたものだ。(3年前ニューヨークで出会った慶応の学生には,自身が家庭科の教員であると嘘をついた。)
子供達に何が伝えられるのだろうか,ということは,
教師にとって永遠のテーマである。
生徒だけが,英語で悩んでいるのではない,
先生達も皆,子供達がどうしたらできるだけ負担を感じず語学が学べるのかと悩んでいる。
国の政策はその先生達や生徒の心までは配慮していない。
言葉は,人間が社会生活を送る上で必要不可欠なものだ。
それにもかかわらず,日本人自身が,ことばに対して非常に無頓着であり,
言葉とは一体どのようなものかも論じられることなく,
表面上のことばかりですべて進んでいるように感じている。
どうにかしなければならない。
私が悩んで苦しんだ事は,どこか誰かが悩んでいる事だと信じたい。
シェイクスピアの「マクベス」に,
Tomorrow and tomorrow and tomorrow
Creeps in the pity pace from day to day,
To the last syllable of the recorded time.
And all our yesterdays have lighted the fool's way to dusty death.
Out, out brief candle.
Life is but a walking shadow, poor player.
That struts and frets his hours upon the stage.
And then is heard no more.
It is a tale told by an idiot, full of sound and fury.
Signifying nothing.
学生時代に覚えたものを,今思い出してさっと述べたので,間違い箇所があるかもしれないが,
私の苦しんだ事を無駄にしたくない。
私の怒りは宇宙にかき消されるのかしら,
何も残らないのかしら?
大根役者が舞台で行ったりきたりしているような感じに,私は映っていますか?
全部,無駄にしたくない。