111という並びで今日は新月だそうです。
皆さまの現実はいかがでしょうか。
わたしの現実は何も変わらないように見えて、
でもわたしの中が劇的に変化していることを書き留めたいと思います。
今年に入って、わたしの現実には衝撃的なことが訪れました。
それは実家の父が入院したという知らせ。
それで公共賃貸である実家を退去するという話を受け、
その場では、わたしの名義にできるものでもないしと流したものの、
翌日になって気づきました。
実家に戻って、もう五年も施設に預けている母を引き取り、介護する時が来たんだと。
あぁ、そういうことだったんだと。
実は去年の暮れから仕事が途切れ、収入が途切れ始めたのです。
これはどういうこと?どういう流れ?と思いつつも、
収入確保のために動きましたが、行き止まり感を感じるばかりでした。
袋小路に入った感じ。
現実が切り替わる時、望みが叶う時、
まずは今を構成していた調和が崩れて消えていく。
それは知っていた、分かっていたけど、ジタバタしてみてはもう無理!と投げ出すの繰り返しでした。
その時の反応が、昨日突然飛び込んできて驚きました。
詰まっていたものが流れてきた感じ。
その出口という入口が、年始が終わってすぐに知らされた父の入院で見えてきたのです。
そういうことか、と。
母を引き取ってあげたい、引き取れる場所に動きたいと、
去年の10月辺りからずっと頭の隅に、胸の奥に引っかかってました。
電話口で母と約束していたからです。
その願いが叶ったということに、ようやく気づいたのです。
それでも去年までは、『介護をしたいんじゃないんだよね』と思ってました。
母を退所させる条件も、トイレが自分で行けるようになったら、でした。
それがずっと達成できなかったのです。
母を引き取って介護することは、わたしにとって重かったのです。
去年までは。
それが今、実家から父が出て部屋を返すということを知り急展開して、
母を引き取って介護でいいじゃない!となりました。
そこに、去年まで感じていた『重さ』をまったく感じないのです。
自分でも、この軽さはどういうことなんだろう?と思うのですが、
もうそこを深く追求する気もないのです。
トイレに行けなくてもいい、条件なんてもう何もいらない。
母が帰りたいと思うのなら、わたしが実家に帰って母を受け入れようと。
その意思確認を、昨日施設に面会に行ってしてきました。
今のわたしは、去年まで何故そんなに重く感じていたのかが分からない。
なぜ「あれができるようになったら」とかの条件をつけていたのかも分からない。
もしかしたら、それは父のエネルギーを受けていたのかもと今思っています。
父が入院したのを知ったことで、わたしの中から父のエネルギーが抜けて行ったのかも。
ようやく父のエネルギーが解けて行った。
今は、母の受け入れ体制を整えること、母との生活ができることを楽しみに動いています。
まだGOサインが出た訳ではないのですが、見えてきた流れと合流しているのできっと上手くいく。
実家を卒業したわたしが、卒業生として戻る。
行き場に困ったわたしが出戻るのではないということは、当のわたしが一番わかっています。
それをここに書くことで祈願します。