昨日母の居る施設を訪れ、居合わせた別の入所者のおばちゃんと話しました。

そのおばちゃんは、母と同じ整形の手術を受けていたのですが、
その手術で感染を起こしたらしく別の大きな病院へ搬送されて処置し、
その後何度も同じ箇所の手術を受けたそうで、
その後脳梗塞を起こして半身不随になり、
もう家には帰れないから今の施設に居るということでした。
この話を聞いて、同じ箇所の手術を受けて何の問題もなく、
その病院に関しても今でも好感を持っているわたし達とは真逆に、
あの病院のせいでと、あれがすべての始まりだったと、
今でも憎らしく思っているおばちゃんのコントラストがありました。
それを見て、聞いて、わたしが思ったのは、
おばちゃんがその出来事を許せたなら、
きっと何かが好転して行くなと。
握りしめているその恨みを手放せたら、
おばちゃんにとって思いがけないものが転がり込んでくるなと。
そしてこのコントラストは、わたしにそれを気づかせるための鏡。
わたし自身に置き換えるための例題だったなと。
おばちゃんのように、許しがたいことが起きた時、
その場ではどうしようもなかったとしても、
とにかくこれでバランスしたと思う。
たとえ自分の記憶になかったとしても、
それが起きたことでバランスした。
起きたことで一旦ゼロになった。
よかった、これで終わったんだ。
そう思えたらもうこの学びはおしまい。
そう思えなくていつまでも根に持っていたら、
またそれをバランスするための出来事が起きる。
それは記憶にある今生じゃないかもしれない。
今生ならバランスしたことがわかりやすいけど、
もしかしたら記憶にない来世かもしれない。
最近聴いた斎藤一人さんのカルマのお話によるとこんな感じでした。
この話がわたしに響いてました。
そっか、こういうことかと、演じてくれたおばちゃんに感謝しています。
これですべてバランスしたと、あれでゼロになったんだと。
今ここで、すべてをそう捉えます!
