六月も末日になって今月を振り返ってみた。



そこに《蜘蛛の糸》が現象化していたことに気づいた。




六月の三日に垂らされた糸は、
善意の機会《チャンス》だった。
陳情を聞き入れた上での《チャンス》だった。




でもそれは分岐点になった。
返り咲きさせるつもりだったのに、
結果は切り離しだった。
切り離す決断をさせるだけの節目になった。




約一月が過ぎたここから見れば、
明らかにあれが分岐点だったのが分かる。




チャンスは切り離された方に与えられたようにして、
実は切り離す方に与えられた。




エネルギーの整合性によって現れた、
エリア分けという分岐点だった。
重たいものと軽いものの混在が、
解消するための現象化だった。




エネルギーの整合性によって混在は解消された。
それが六月のテーマだったと気づいた。




金魚




珍しくここから追記する。


《蜘蛛の糸》のどの視点に居るのかというと、
糸を登りつつ切り離されたカンダタではない。
それを蓮池の縁から見ていたお釈迦様の位置だ。


他人軸ではない自分軸の視点。


おそらくかつては逆だったのかもしれない。
もうそこからは周波数を拾えないくらい離れた気がしている。
そのくらい遠くに来ているのを意識して、七月に入って行く。