昨日、youtubeに促されて東日本大震災関連の動画を観た。
その時の日本人の落ち着きぶりに対する海外の反応を見て、
ふと想起してきた過去があった。



日本人の冷静さは模範的だという捉え方にリンクしたのは、
わたしがイギリスに滞留していた時の不愉快な出来事。



コインランドリーで洗濯を終え、大きなバッグに洗濯物を詰めて、
通り向かいにあった雑貨屋に寄っていた。
そこへ40〜50代の女性がわたしを追ってきたらしい。
財布がなくなったから、わたしのバッグの中を見せろという。
唖然としながらも、わたしはうろたえることなく返事した。



わかりました。見てもいいですよ。
でも、最初にあなたの荷物を見て下さい。
わたしも一緒に行きますから。



彼女についてコインランドリーに戻った。
彼女が洗濯機の上に広げた洗濯物の山を調べると、
そこに財布はあった。
周りの人たちも喜んでいたけど、誰もわたしに気を配りはしなかった。
本人ですら、わたしの存在を忘れてしまったかのようだった。



もっとも、財布があったことを確認したから、勝手に退散した。
人を疑う前に先ず自分を疑ってよねと、胸糞悪い思いをしながら、
とにかくその場をさっさと離れた。
その後の対応をさせなかったのはわたしの方だ。
そうすることでわたしの不愉快さを表現したのかもしれない。



相手に対して、怒りもしなかったし恐れもしなかった。
だから、突然の言いがかりに「はぁ?」と思いながらも、
わたしの荷物より先に相手の荷物を調べるように言葉が出てきた。
感情的にならず冷静に対応した。



これも実は役回りだったと思えた。
わたしは当時20代後半だったけど、その相手が子供のように思えた。
不愉快な出来事として記憶していたけど、
あれも「冷静さ」を披露するための出来事だったと気づいた。



海外では、感情的になって簡単に波動が乱れる。
あの当時から、海外に比べればわたしは波動が安定していたのだろう。
それでも、シフトには未達この上ないレベルだった。
だからミレニアムには不発だった。



何かが起きた時。
それはどう対処するかの分かれ道。
その対処によって、その捉え方によって、
創造される現実が変化する。



20年以上も前のあの出来事をリニューアルした。
昨日から新しい捉え方、角度で見始めた。



【好みの角度】で見えるようになった。



好みの角度、心地よい角度の現実が始まっている。



ラブラブイエローハーツグリーンハーツブルーハーツ