いつものボールペンのインクが切れて、
鉛筆はいっぱいあるんだけど書き心地がイマイチだし、
読み返す時も読みづらいというのがあって、
仕方なしにコレを使っていた。
なぜ仕方なしになのかは、この替え芯が高いから。
手近で買うと800円はする。
安くても500円はする。
かと言って、鉛筆よりかはこっちの方が書きやすいから使ってた。
今日書き出そうとしてふと、
そういや万年筆のカートリッジの箱があるよねと立ち上がり、
引き出しを開けて確認、で、万年筆ってあったっけ?と漁ってみると出てきた。
万年筆があるからカートリッジがあるんだけど、
もうその存在も忘れるほど使っていなかった。
あるある〜と喜び勇んでカートリッジ交換しても書けない。
もう二十年は使っていなかったかもしれないから、
メンテナンスのサイトを調べて浸水中。
これが使えればカートリッジは十分にあるし、
「ない」から「ある」に反転したってことで落ち着いた。
この部屋のスペースが、
「ない」という思い込みから「ある」に反転した衝撃が、
「ない」から「ある」に反転するフラクタルとして続くのを意識している。
「ない」を意識したから「ある」に跳ぶ。
「ない」という思い込みから外に出て、
「ある」という現実に着地する。
「ない」が思い込みで、
「ある」が現実。
ボールペンじゃなくて万年筆なら、今ここにある。
今ここにいて「ない」から「ある」へと反転させる。
それが外に拡大されていく。勝手に。
これが出てきてから、
することよりも起きてくることに改めてフォーカスしている。
起きてくることが、わたしを望み通りにガイドしてくれるんだよねと。
ボチボチと復活中

