私は初めに「あなたは無限です」と言われました。
会社を倒産させ全てを失ったと思い込んでいた私に向かってです。
どん底だった私は「そんな馬鹿な」と考えながらもその言葉を信じてみようと思いました。
そのたった一言から始まりました。
「私が無限であるという事は、私は全てという事だ」。
「私が全てという事は、私が神だという事だ」。
「私が神だという事は、倒産は私が仕組んだという事だ」。
「私が仕組んだという事は、私がそれを知りたかったという事だ」。
「何だ、これこそ私がしたかった事なのか、そうならば私は今『思い通り』に生きているということではないか」。 






手元にあるピックアップされた津留ノートではなく、
ネット上のメッセージ集に行ってこのタイトルに決めた。



今朝わたしには、一連の流れがわたしの思い通りだったのが見えてきた。
既存のシステムを選択肢から切り離すために体験したのだと。



新世界には使えないものが持ち込めないのだから、
使えるのか使えないのかを見極めるために体験した。
使えないものを我慢して使うこと、使えないものに隷従する選択肢を却下した。
新しいもの、使えるものに置換するために。



「私が仕組んだという事は、私がそれを知りたかったという事だ」



現行システムを変えるのではなくて、
代替する新システムを導入する。



変える必要なんてさらさらない。
時間がかかってゴールが先延ばしになるだけだから。
現行システムを必要としない、代替システムを具現化すればいい。
ゴールそのものを導入すべし。



わたしはそれを見極めたかったのだと自覚した。
使えないことを見極めてお払い箱にする。
何度も出入りしてきたけど、今度こそ意識して、システムとして却下した。
疑念から生まれたシステムであることを見極めた。
新世界では使えない、釣り合わないシステムであることを。



昨日の光と闇の整合作業は、縄文時代草期のエネルギーに満ちたアルバムを取り出そうとして始まった。
使えるものを取り出して、使えないものをお払い箱にした。
使えないものをお払い箱にするために、使えるものを取り出した。
交代させた。



ツルの一声。



体験したからには、使い途があるってことでしょうね〜照れ