自己実現について考える 2月20日
今日は「自己実現」ってことについて考える局面が結構あった。
ここでは職業「ギリギリガール」ないくらさんなんですが、まあ、ぶっちゃけてしまうと、卒業間際の大学院生なわけなんです。んで、今日研究室で打ち合わせもろもろの準備をしていたところ同じ研究室内のバカップルが将来設計について話し始めた訳なんですよ。
要約すると、その二人のうち女性の方は卒業が決まっていなくてこの先就職活動するか進学するか悩んでいる、という状況。男性の方は卒業はすることになりそうで就職先も決まっています。きっと、春からは「遠距離恋愛」になるんでしょう。
それで、女性のほうがいうには、必ずしも進学したいわけではないから担当教員づてに就職先紹介してもらえそうなところがあれば紹介して欲しい、と。でも、担当教員は自分が研究職につくものだと思っているから言いづらい、と。それに対して男曰く、研究職を絶対考えていないというわけではなくて、一つの選択肢としてなんだからそういばいいじゃない、と。
いや、いいんですよ、ほんとにそれだけなら。でも、彼が研究職をめざそうとしてないのはそれだけが理由じゃないだろう、と思うと、なんかもうね、ぷ。っていうか、やってなよ、みたいな、だって、あきらかに「研究」にたいして真摯じゃない姿勢しかみせてないんだもの。
たしかに、自分も本当に真摯にとりくんだかというとそうではなくて、むしろかなり及ばなかったところがあって、そこを限界点のように思ってしまった自分がいるので、お前が批判できないだろうといわれれば確かにそうなんだけどさ。でも、「自分を棚上げしてる」という認識すらないようなところに唖然なんです。
結論としては、今日の課題が教員の基準として満足できる出来に用意できなかったからそんなことはおこがましくて言えなかったというわけ。彼女にとって、彼女自身の自己実現とはいったいなんなんだろう?本当に研究を続けたければそれを目指すべきだし、そのためにはもっと真剣に「研究」をする必要があると思う。それは研究の実施という点で、自分一人でいかに構成・企画・調査・分析を組み立てて行くかとかの作法とか、そういうことだと思うけど。もし、彼と一緒にいたくて、その道を選ぶときに研究職というのが必ずしも自己実現の方法でないのなら、そういう観点で就職なりを選べばいいんじゃないのか。そういう視点も本当はあるのかもしれないけど、なんかほんとに自分たちの状況が見えてないというか、正当化しすぎというか、思い上がっているような状況が、研究室という場で見られることがもう、はいはいわろすわろすって感じ。
でも、なんか自己実現の方向に就職とか研究というのを置こうとしてしまう気持ちもわからんではない。けっこう、ここまで勉強を続けてきてしまうと、例えば好きな人と一緒にいてその人をサポートしていくだとか、例えば子どもが出来て子ども自身もそうだけど子育てを通じて親としての自分の成長をのぞむ、っていうのが自分にとって自己実現なんです、ってのは言いにくくなってしまうからなぁ。本心ではそう思っていたとしても、なんだか家事をするだとか育児をするだとかがすごく低く見られているような気がして、そう言ってはいけないような気がするのは確かだものなぁ。なんだか、ここまで勉強させてもらったのにもうしわけないっていうか、もったいないっておもわれるのかもみたいなさ。難しいところですけど。
しかし、こう思うのは、やっぱり自分の状況が大きく関連してて、そういう機会がありそうだから肯定的にとらえたいだけなのかなぁとかも思ったり。だって、絶対に将来にそういう状況が考えられない、そういう相手がいなかったら、こうは考えないだろうし。
とはいってもさー(逆説の接続詞ばっかり)、やっぱり好きな人がいるとか家族になるとか家族が増えるとかはやっぱり幸せなことだと思うんですよ。わたしにとってはそれは幸せなことだし、そういう幸せな状態にあることは自分の自己実現につながると思うんですよ(今すぐって訳じゃなく将来の行く末としてだし、もちろん唯一の価値ではないけど。仕事とかそういうのに見出す部分もあるんだろうけど)。これもやっぱり今の状況だから言えることですか?
知っている人で今現在ご主人曰く「育児ノイローゼ」になっている人がいて、あながち大げさに言っているとは思わないんだけど、彼女は結婚して旦那さんの仕事にあわせて引っ越してきてから、特に子どもが生まれてから自分の自己実現が全然かなっていないことがイライラの原因になっているらしい。そんで、子どもと一緒にいることがもはや苦痛なんだってさ。
状況によっては、そうなっちゃうのかなー、って思うと、私にとっての自己実現ってのもいったいどういう状況に自分をもっていくことなのかー、ってのがちょっとわかんなくなって、それは少なからず不安にはなるよね。
ま、ともかく、今はいろんな人をみてそういうことちょっとでも考えながら惰性にならないように生きていった方がいいのかも。