今日、
幼稚園に娘を迎えに行って
車で帰っている途中、
突然娘が、
「ぎゃーーーーー!!!!」と叫び出す。
私は運転中だったから
振り返ることもできないまま、
「どうしたの?!?!」と聞いたら、
「靴脱げちゃったのぉぉぉぉぉーーー!!!」
と言ってました。笑
何かに指がはさまったとか
車の中に蜂か何かがいて刺されたとか
そんな叫びかただったから
色々可能性を考えて焦ったんけど、
靴が脱げたんだそうで、、。
途中信号で止まって娘の方を見てみたら
かかとの部分だけ脱げていたので、
そっと直しておきました。笑
正直、
「大したことないのにそんな感情的になることないじゃん!」
と思うことって、
子育てしているかたは分かると思うけれど
本当に何度もありますよね。
で、今回の私の娘の件も、
「大したことないのにそんな感情的になることないじゃん」
な案件なんだけど、
娘の怒りの根本は多分
「靴が脱げたこと」じゃなくて。
多分もともとイライラしていて、
それで靴が脱げてまたイラっとして、
それが引き金になって叫ぶに至った。
私にはそんな風に見えたんですよね。
だから、
「もともとイライラしていたのは何でだろう」
という部分を見たら
「自分を解放して遊びたかった」ようで、
そんなことを意識して娘と過ごしてみたら
お互いご機嫌に過ごすことができました
子どもの不機嫌を一言一句に惑わされない。
目の前の感情・動作・言葉に惑わされない。
そして根本を見ていく。
そんな姿勢を親が持つことと、
そんな姿勢を持てる余裕が親にあることで、
親も子どもも
一緒に軽やかに過ごせますよね。
もちろん、
近しい人が(子どもが)イライラしてるって
大人だってすごく嫌だし、
笑顔でいて欲しいって
心から願ってるからこそ、
子どもの不機嫌を見るのはとてもしんどい時もある。
(靴が脱げた不機嫌ではしんどくならないけれども 笑)
だけど、
子どもだって自分の「負の感情」を
そのまま出したいときだってあるんだよね。
だからその子どもの状態を、
「そういう状態なんだねー」
って親側が「視座」を上げて見ていくと、
子どもの感情大暴走が
面白く愛らしく見えたりしますよね。
なんかきっとどのお母さんも
やっていることなんだろうけど、
文章に書き起こすと
思い出したり整理されやすくなるかなと思って、
今回は書き起こしてみました。
荒木かほ