現場主義。

現場から離れる時は、僕(51)が足を洗う時。

だから、現場に常駐しない人は、残念ながら認めない。甘く見ないでほしい。

僕の亡き師がそうでした。全部、背負う人でした。若い者を護る人でした。

だから僕も意地でもそうするだけ。そう育てていただいたから。

ただ、それだけ。同士と思うな。甘く見ないでほしい。










常に、家族以外の何かを背負って来ましたが…。


人それぞれバックボーンがあるように、僕のバックボーンからは、こういう人生になるって定まってるんだと思います。



この先、リタイアしたとして、肩の荷が仮に軽減したとしても…。


基本は変わらない。


頼らず

信じず

自問自答しながら生きて


気付いたら後ろから付いて来てくれた人たちを同士と認識する。




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結局、自身、弱いからなんだ、と。


だから、そうしないと生きられないんです。

51年、生きて来て、そこは痛感します。



味方を欲することも、信用することも、無い。一切無い。



ついでに。


歩を停めることも無い。


「あーた、一緒に歩いて疲れねーの?」


「あーた、飽きねーの?」


って、勝手に付いて来る人しか、もう、信用できなくなってるんですね。


背を向けられて、好き勝手に評されて、後ろ脚で砂をかけられるのは、もう、若い時だけで懲り懲り(笑)。


オジサン、そこまでメンタル強くない(笑)。




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何かあった時の延命措置拒否、延命治療拒否を、僕は宣言してます。


勿論、近親者にも伝えてます。


あと3年(順調にいけば、笑)で子供たちは自立します。


我ら親のすることは、最低限度、そこまで。


そっから先は、自身が生きてりゃ儲けもの!ってなもんでね。

花嫁姿も孫も見ないと言い張るのは、予定に入れたのに、志半ばで急逝するのが耐えられないから(笑)。



13年前に、一回、死んでるんです。僕は。


その分、今、大事に生きてる。


毎朝、目覚めたら「感謝」から始めます。



僅か300年前。

人間は、僕の歳でくたばってたのに。


“人生わずか五十年”


それ以上を望むのは贅沢。


僕の中では、既に天寿は全うしたと思ってます。



強いて言えば。

親より先には死ねねーなってことくらいかな(笑)。


元気だからなぁ、ウチの親…(笑)。