「ワンタン耳」って何ですか?
と聞かれます。
大抵、この業界は強い弱い関係なく耳が沸いていて、ノーマルなのは「ギョウザ耳」、沸き過ぎてまん丸になっちゃったのを「シュウマイ耳」などと呼びます。
僕(51)のはね、ワンタンなんです。ギョウザほど具が入ってないから(笑)。中が沸いて外郭が無傷。綺麗な潰れ方です。
反対なんて、耳穴の突起が潰れるという超常現象が起き、見た目は至って普通。
どーでもいー話です(笑)。
防災の日。
1923年の関東大震災から100年。
東日本大震災を経験した身としては、やはり、胸がザワつく思いがします…。
世が無秩序になった時、人の本性が炙り出されるといいます。
僕の経験からしても、やはりそれは正しく、あの時を境に、僕の周囲は一変しました。
言い換えれば。
鉈を振り下ろし易くなったんですね。
バツバツと切り落としました。
人間関係はおろか、当時の職場も一刀両断しましたし(笑)、モルタルまみれになりながら復興事業に従事し、新たな生活の為に、職業訓練学校に通ったり、他にも様々なライセンス取得に勤しみましたね。
世の中、やはりライセンスは必須。
実力があっても、ライセンスが無いだけに任せられないことだって、山ほどあります。
いや、殆どがそう。
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未曾有の混乱期を経ると、世の仕事選びにも変化が表れて来たように思います。
震災、パンデミック、幸いにも(?)両方経験した身として、周囲の変化には本当に驚かされた次第。
職種の差別をする気は一切ありませんが、こういった混乱期には、淘汰されたものも少なからずあります。
よく、両親や祖父母から、「“ちゃんとした”仕事しろ!」と説教される人、少なくないはず。
僕らと同世代ならば、尚更かと。
若い時は、そりゃあ反発しました。
“ちゃんとした”って何だよ⁉︎…と(笑)。
何だって立派な仕事だろーが!って息巻いて、いちいち言い返したりして…。
でも、震災と、パンデミックという、2つの秩序崩壊を経験してみて、つくづく感じました。
要するに、如何なる世の中でも求められるモノ(仕事)ってこと。
つまり、流行り廃りのないモノ(仕事)ってこと。
僕の経験したことよりも、第二次世界大戦という遥かに身の危険、命の危機を乗り越えて来た世代の先人。
混迷の世の中、時には人に言えない事をしてでも家族を護り、そして看取って来た先人。
何不自由なく育った僕ら世代が、反論する余地なんて、あるはずもないんです。
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だから。
これまで様々なライセンスを、必要とあらば可能な限り取得して参りました。
今も尚、挑戦中です。
かれこれ、大学を出てから、10余りのライセンスを獲り、あれこれ姑息に活用しております(笑)。
勿論、娘たちにも、その重要性は伝えてきたつもりです。
要するに。
どんな職を選ぼうとも、根を張れってことですから。
リスクマネジメントなんていったら大袈裟でしょうが、近い感覚は常に持ち合わせておくべき。
ウチの柔道塾が、いちいち学校の成績にまでクリアラインを設けるのは、そんな思いがあるから。
柔道なんて限定的な世界で、コチャコチャ動き回るだけでなく、苦手なジャンル、嫌いなジャンルを克服するスタイルを、少年期の内に身につけなさい、と。
誰しも、勉学は好きなわけではない。
でも、好きなことだけで仕事ができるはずもない。
出世にしても、転職にしても、専門のスキルアップにしても。
活字や計算と、本気で向き合わなければならなくなるんですからね。
少年期にとれたら、それに越したことはない。
社会人になった後にとるならば、少年期に必死でクリアした姿勢が、何かの助けになるであろう。
「読み」「書き」「算盤」、「記憶」に「もの作り」。
無駄に学校があるわけではない。
必要だから、あるんだから。
無くて辛い人生を送る国が山ほどある中、それがどれだけ恵まれていることかを、きっと、この国が衰退しないとわからないのだと思います。
無意味と言えば、己で無意味にするし。
越えるべき壁だと挑めば、必ず実になるはずだから。
親でもないのに、塾生たちに勝手に親心をはたらかせる、鬱陶しい老婆心オヤジ(笑)。
その昔…。
「柔道だけ教えてりゃいいんだ!」
と悪態をついた困ったちゃん(保護者)がいましたが…。
余計なお世話と違和感を感じたら、ウチを辞めればいいし、柔道だけやる所へ移ればよろしい。
ただ、それだけです(笑)。