今年も何とか、14m×3本、10m×8本のウネ作成完了。
やはり今年もGW潰しちゃいましたが…。
100mのマルチ、丸っと全部使い切りましたから。
この変わった形は、僕なりに10年やって辿り着いた形でして、雨天後でも、子供達が作業できるように工夫した結果です。向かいの中学校さんからは「遺跡発掘現場」と讃えられてます。
耕運機無しのオール手作業ゆえに、物凄い手間がかかります。当然、腰も壊れます。
でも、ただでは転びません!全てトレーニングに変えてます(笑)。
その様子を凌門塾HP内Instagramの『凌門塾的アグリカルチャんねる』で絶賛紹介中!僕(50)のナマ作業動画が観られるのはココだけ(笑)。
今年も全日本選手権、観ました。
体重別偏重の昨今、全日本選手権すらも、体重別の選考要素のひとつとなっている現実…。
そして、体重別の為に全日本選手権を欠場する現状に、個人的に物凄く違和感を覚えます…。
そこは、鈴木監督が公式に違和感を述べているので、次のアクションを待ちたいと思います。
それにしても。
全日本選手権は、講道館ルールではダメなのでしょうか?
片田舎の、底辺徘徊柔道家が、今更、何を宣おうが意味などないのかもしれません。
しかし。
やはり、僅かながらでも柔道に携わる身として、やはり全日本選手権は別格であって欲しい。
そんな願望が強くあります。
僕が古賀選手に憧れたのも、全日本選手権出場がキッカケ。体重別チャンピオンだからではない。
当時、高校生でしたが、柔道部の仲間と、東京まで親父の一眼レフ首からぶら下げて、日本武道館へ観戦しに行きましたから。
勿論、岡野功先生は、いまだに僕の神です。
東京五輪中量級金メダリストだからではありません。
古賀選手と変わらぬ小さな体格ながら、体重無差別全日本選手権に於いて、並み居る重量級勢を吹っ飛ばしまくって、何と2度も優勝されたその実績は、もはや、前人未到の域。
恐らく、今後も、超える人は現れないでしょう。
体重別チャンピオンより、全日本選手権覇者。
僕が、大野選手や角田選手が好きなのも、体重別チャンピオンだからではなく、体重別チャンピオンでありがら、体重無差別の全日本に挑み続けるその姿勢があるからこそ。
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ただ。
今のルールでは、小兵が勝ち上がるのは至難の業。
いや、“今のルール”というよりは、“ルール自体によって”と申した方が妥当でしょう。
ルールに潰される。
どういうことか?
単純に、ルールが体重別用に細分化され過ぎる。
そして、過剰に危険要素を潰し過ぎる。
これに尽きます。
全て、IJFの決定。
体重別ありき。
つまり、体重無差別の全日本選手権に、そんなものを適用すれば、当然、小兵はたまったものではない。
アレするな
コレするな
当然、試合では審判もしますからね。
もう、いい加減、うんざり…。
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・スポーツとしてのルール設定
それから
・武道としてのルール設定
これを考えれば、大きな差が出るはず。
今のIJFは、言わずもがな前者。
だから、減量とか、道着規格とか、非日常的な制約の元、観客に分かり易く、飽きさせないような競技として、人気取りに邁進し、世界に根を張った。
しかし。
僕の様な変わり者(そう称することか如何に残念か)は、ルールが本質を破壊する現実を知っているが故に、そんな非日常的な発展など、微塵も支持できないわけで。
明らかに後者の者ならば…。
武道は無秩序が本質だからこそ、細分化される方がおかしい。
予期せぬ実戦で、体重整える暇はない。
そして。
取り決めなんて通じるわけもない。
実戦は、何をされるかわからない。
だから、あらゆる想定を立てておかなければならない。
せめて。
ポイント差が無ければ、体重判定(20kg以上の差)で軽量級の勝ちにするくらい斬新な試みをするとか。
最低限度、武道ベースのルール設定。
無秩序想定の実戦というのは、そういうものです。
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その手の話をし出すとキリがありません(笑)。
話を戻して全日本選手権。
ちょっと、いつもの面白さが極端に少なかった。
そして、少し興醒めした。
優勝者をはじめ、出場した全選手に対する敬意は、当然、表します。現行の中で、本当に苦労をされているのも、重々承知の上です。
しかし、それが正直な感想です。
太田選手、気の毒。
芳賀選手、同じく気の毒。
この後味の悪さ。
結局、ルールって誰の為に?
何を守ってる?
大学の先輩に、今回と全く同じシチュエーションで一瞬にして相手の腕を仕留める先輩がおりました。
奥を叩く僕も、何度も何度もやられて、自ずと防御策や自衛手段を身に付けました。
小さい者が、簡単に奥を叩かせちゃ駄目だと。
不用意に奥を取っても駄目だと。
そんな無言の教えを叩き込まれた経験から、大きい同輩や後輩(というかほぼ全員大きかった)たちとの闘い方を覚えていったものです。
それが。
今では何でしょう…?
何故、「倒れ込みの脇固めだけ反則」ではいけなかったのか?
これからの選手たちは、立ち関の防ぎ方、リスクの少ない奥の叩き方、知らずに育つのでしょうか?
組めて当たり前の状況が横行し、それが許されない状況になった時に、どう対処するのでしょうか?
危ない危ないって…。
段差を無くしてスロープ設置をすること。
転んでも痛くない様に道を真っ平らにすること。
これと、どこが違うのでしょう?
せめてもの救いは。
解説者が
「試合だからルールがあるので仕方がない。」
「しかし、このままでは柔道本来の魅力が失われるのではないか?」
と、行く末を案じた発言があったこと。
嗚呼、ようやく、言ってくれた。
しかしもう、手遅れなのでしょうか…?
僕らが観たいのは。
全日本JUDO選手権ではなく
嘉納流柔術(のちの講道館柔道)全日本選手権です。