㊗️鳥中華販売継続!

期間限定でしたが、先日、僕(50)自身が店員さんに確認したから間違いなし。

カロリーが気になる、けどラーメン食べたい!って人にはお勧め。勿論、あっさり派にも。蕎麦屋のラーメンです。

安いしさ、欲求は満たされるしさ、何より美味いから。でかした!そばの神田!








先ずは…。



『スポーツは元来、楽しむものである。語源はラテン語の「デポルターレ」で、「気晴らし」「遊戯」と解釈される。この言葉のとおり、スポーツは非日常的なもので、誰からの強要を受けるものではない。強制されるものではなくやりたい人だけがやるという、自発的、主体的な行為なのだ。
 しかし、日本では様相が異なる。「気晴らし」だったはずのスポーツを、学校組織の中に入れたことで意味するところが変わった。つまり、教育的な要素を含むようになったのだ。 
 もちろん、部活動自体は生徒の自発性、主体性をベースに成り立っている。強制的に入部するものではなく、個人の意思によってなされるものだ。それでも、学校の中にある以上は教育の領域を抜け出すことができないのだ。
 こうした部活制度のあり方に疑問を感じる指導者も少なくない。千葉県市川市にあるサッカークラブ「市川ガナーズ」を運営する幸野健一氏もその1人だ。サッカーコンサルタントとして世界42カ国の育成機関を回った経験を生かし、日本で理想のチームを作り上げている。幸野氏は拙著「甲子園は通過点です」(新潮新書)の中で、こう語っている。
「日本にとってのスポーツは運動、つまり体育になっていると感じています。戦後の70年前に、国民を健康にさせるために運動をさせようと考えて、学校にスポーツ施設をどんどん作った。国民を楽しませようとしたわけじゃないんです。本来、スポーツは『デポルターレ』(楽しみ)という言葉の語源があると言われているように楽しむためのものであるはずだったのですが、学校に入れたことによって教育にすり替わってしまった。忍耐や努力、我慢、礼儀という教育的な要素になったのです。小学生で体育をやり、中学生で部活をやる。これが日本人のデフォルト。それはスポーツではなく体育と言えるのではないでしょうか」
 幸野氏が指摘するとおり、スポーツが学校に組み入れられた点は非常に大きい。街のクラブチームであっても、プロ野球球団であっても、この「教育的指導」から抜け出せないケースが多い。
 今年のプロ野球キャンプでも見られたが、選手個人が主体的に取り組んできたことであっても、「そのやり方をやめろ」と監督が言えば、中止しなければいけない。学校での先生と生徒の関わり方が、そのままプロスポーツにの世界にまで伝播し「教育的指導」が行われてきた背景があるのだ。』(記事より一部抜粋)


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まず、数年前に「体育の日」が「スポーツの日」に変わった時に、英語にしただけじゃん!と嘲笑した人たち。
上記の問題点の意味がわからないと思います(笑)。

また、こういった諸問題も解決しないまま、地域のクラブチームを、今年からむやみに中体連に登録させるような制度ができたようですが…。
ウチは、元から考え方が違うので、全くその予定も、その気もなく、大体にして、ペッパーミル云々で騒いでおいて、よくもまぁそんな発想に至ったものだと。

過度?
ブラスバンドはどうなのか?
妙な格好の丸出しチア軍団は?
朝日や毎日なんかのスポンサー付いてて商い付随させておいて?

本当に、どうかしている。


もっと言わせてもらえば。

何故、ウチが日本スポーツ少年団から脱退したのか?

そこからして、理解できない人たちが大半である内は、まぁ、今後も同様の問題、たくさん噴出するでしょうね。


そもそも論ですが。

スポーツと武道の相違点すら理解できない人たちが大半な現状だからこそ、こんなアベコベな問題が、柔道界にも絶え間なく起きるってことです。

もう、過渡期に差し掛からないと駄目なのかもしれませんね(笑)。


返す返すも…。
30年以上前です。既に師が、この問題点をそのまま提起していたことに対する、畏敬の念が止みません。

今の僕を形成してくださった、大事な出会いに心より感謝。

僕も、ずっと勉強。

死ぬまで勉強。

学びをやめたら、人は死んだも同然です。
学ぶ意欲が失せたら、もはや人である必要はありません。