職場の夏祭りで、法被を着て、子供たちの発表を手拍子で盛り上げたり、HP用の写真を撮ったりしていたら、「テキ屋みたい…。」といわれ、軽く憤慨した、佐々木(50)です。
・・確かに(笑)。
園職員には見えないだろうけど、要は、人の倍、動いて稼いで貢献すればいい。発想は、リーゼント刑事と一緒!
陰口とか、愚痴とか、刃向かいとか…。
これは、上に対してするものであって、下に向けるものではありません。
上司や代表、経営者ってのは、ある意味、嫌われてナンボって側面があり、文句を言われたり、勝手で無責任な要望をされることは、もはや覚悟の上という認識がなければ、やってられない。
また、下は下で、刃向かうくらいのバイタリティがなければ、組織が活性化するわけもなく…。
そこらへんの衝突というか、やりとりというのは、必要なものだと、僕は思っております。
それを…。
反逆だ!とか、裏切りだ!とか、上が、事ある毎に騒ぐようでは、最初から“器”じゃないってこと。
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まぁ、経営する側に限らず、「長」と付く立場なら、同じことが言えます。
しかし。
その、背負う責任が軽ければ軽いほど、議論=反抗、提案=攻撃、そう捉える傾向が強い。
当然、“器”じゃないから、半ば、怯えているのかもしれません。
何に?
常に、自分の立ち位置の危うさに(笑)。
だから、ひたすら人(部下や後輩)の悪口を言う…。
そして、上に取り入ろうとする…。
残念ながら、そういう人、たくさんいます。
そういう人には、敢えて、僕は自ら、たくさん“議論”を仕掛け、常に“提案”することを怠りません。一切の遠慮を排除して。
別に、公的には、喧嘩を仕掛けているわけではありませんから(笑)。
当たり前ですが、不快感丸出しにされますし、弾かれます。
ところが、そんな程度のことで鎮むほど、僕の面の皮は薄くない。
結果、余計に対立構造があからさまになる。
いや、あからさまに“する”んです。自ら。
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ちなみに。
これは僕の、僕なりに考えついた処世術。
余計な忖度とか、繕いとか、人の目とか、全く気にならなくなるから。
『精神安定処世術』と呼んでます(笑)。
そういう感性は、世のマジョリティとは真逆です。
大半は、僕のやり方は、胃を壊す、気を病む。
もしくは、その決行に至らず、結果、周囲に呑まれることで身を護るのだそう。
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まぁ、僕のことは置いといて(笑)。
要するに。
下を批評したり、攻撃するということは、己の無能を曝け出している。
「アイツは駄目だ!」
「こんなことも出来ねー!」
って言葉は…。
「わたしは無能だ!」
「私には部下や後輩を、育成、コントロールする力はありましぇーん!」
そう宣言しているも同然。
言いたいのは、ということです。
胃を痛めたり、気を病むのは、上の仕事です。
下が、そんなツラい思いをしないように。
または、下の失態をかばったり、ケツを拭いたり。
そんな覚悟が、健全な上下を構築する。
つべこべ言わずに、そう、シンプルに行動してみろってことです。
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余談ですが…。
僕のような、こんな面倒な存在を、面白がって、懲りずに面倒みてくださった先輩や先生方、または上司は、今までにたった数人。
ごく僅か。片手でお釣りがきます。
だから、僕は、そんな稀有な方々には、未だに頭が上がらない(笑)。