こんにちは。
「おもてなしの心技体」を伝えるインバウンド接客講師の越水 理恵です。





今日のテーマは「無知の知」です。

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この写真は、国交相のオリンピックプロジェクトの一環で武蔵一族に声がかかり、先日お手伝いで訪れた千葉城です。



なぜ私がいきなり「忍者手裏剣」になったのか、聞かれることが最近とても多いので(そりゃそうだw)
そこからお話させていただきます。



プロフィールにも記しているのですが、私は結婚後、夫の仕事でカナダ🇨🇦(トロント)、中国🇨🇳(北京)、ブラジル🇧🇷(サンパウロ)に合わせて12年ほど住んでいました。

どの土地にも現地に移住した日本人がいて、それぞれの場所で仲良くさせてもらいました。


カナダではテニスや陶芸で仲良くなった方々が、日本の味を守るために情報交換と試行錯誤を繰り返しながら、納豆や味噌、そのほか和食を丁寧に一から手作りしていました。

まだ若かった私は
「せっかくカナダに移住したのにやっぱり日本の味が恋しくなるものかなぁ」
と思っていましたし、茶碗や湯呑み、魚を乗せる角皿が欲しいという年上の友人と一緒に土を練ったり ろくろを廻しながら、異国の地で「和」に
それほどこだわることに少し不思議な気持ちを
持っていました。



中国ではずっと中国語を教わっていたのが、
早稲田大学の大学院に留学後、日本の商社に
就職し11年を日本で過ごしたという家庭教師の
中国人女性でした。
先生は日本語を話し日本の文化に触れたという
経験をとても誇りに思っている人でした。


ブラジルでは、同世代で移住している友人に
誘ってもらい、“女子会”と称して度々飲みに
繰り出していました
人生の中で縁あってブラジルに移り住むことに
なった彼女達は、夫に依存することなく能力を
活かして仕事をし、子育てに悩み、プライベートもきっちり楽しむ、意思を持ち自立した美しい
女性たちでした


そのうちの1人の友人に誘われ、日本の古本バザーを何度か手伝いました。

冗談ではなく墨で塗られた戦時中の教科書や、日本だったら束で捨てられるような現代の小説から絵本、料理本、レコード(❗️)などありとあらゆる書籍が年に一度、サンパウロの民族資料館で販売されます。

近郊はもちろんのこと それを楽しみに、アマゾンの方から前日の夜行バスに乗って買いに来られる日系のお年寄りもたくさんいます。
彼らの、朝一番で入場したら何時間もかけて吟味し、両手いっぱいの古本を抱えて帰る満足気な顔を見て、どこにいてもルーツの文化を大切にする人がこれほどたくさんいる、ということに衝撃を受けたのは貴重な体験でした。



それともう一つ、忘れられないエピソードがあります。
長くなって恐縮ですがお付き合いくださいませ〜


私達の帰国前に夫の会社で送別会をしていただきました。
レストランから呼んだ車が、サンパウロのタクシー🚕には珍しくオーディオやナビシステムなど最新型の機器が運転席に付いている日本車でした。
日本とは比較にならないレベルで治安の悪い
サンパウロでそんなタクシーを運転するのは
かなり危険なことなのですが、若い運転手も
無邪気にその機器を操作して見せてくれました。

それを覗き込んでいた、見送りの日系人秘書さんとスタッフが



Tecnologia
Japonesa
(日本の技術)ね〜〜🇯🇵キラキラ



と声を揃えて、心から誇らしげに叫ぶのを運転手も「その通りだね」なんて笑っていた光景が目に焼き付いています。




まさに地球の裏側🇧🇷で、日本の技術と自分の
ルーツが日本人であるということに誇りを持って生きている人がいる。
100年以上前にブラジルに渡り、血の滲むような努力をしてそこに根を下ろし、ブラジルの農業界、産業界の発展に貢献して今の地位を築いて
くれた日系の方々がいるお陰で

「日本人」というだけで銀行が無担保でお金を
貸してしてくれたり(私は試したことがあり
ません。悪しからずてへぺろ)、ブラジルの歴代大統領も多く輩出するラテンアメリカ最難関の 
サンパウロ大学に入るためには、日系人を1人
殺さなければ入れない とブラックジョークが
囁かれるほど、今では信頼と尊敬を得ている
のです。



そんなことも露知らず、今、一応平和な日本で
暮らす日本人は自信を持てず自分に価値を
見出せず、その日暮らしでやり過ごす人間の
なんと多いことか。

そのことが帰国した瞬間からずっとモヤモヤして悔しかったのです。歯がゆかったし、かなりの
危機感を持ちました。
みんなギスギス、イライラしていて、または
感情を殺して(本人はそう自覚もせず)電車に
乗っているように見えました。
日本の大人は目が死んでいました。


そう危機感を持っても、こんな無力で、能力も
才能も、ましてや実績など何もない自分に
何ができるのか⁉️






何もない



でもこのままではまずい。なんとかせにゃ
ならんのです。そう思いました。
なのでこんな自分にも出来ることを、がむしゃらに探し続けました。
興味のあるものは全て、ひたすら勉強して資格を取ったり色々なセミナーに参加したりして、自分の気持ちに嘘のない伝え方ができる道を探り
ました
その間家族はちょっと犠牲にしたかも
ごめんよ家族💦
今も犠牲にしてるかも
ごめんよ家族。




そこでやっとたどり着いたのが
「忍者手裏剣だったのです。




そこが飛躍し過ぎ⁉️いいんです。この飛躍感が私なんですてへぺろ


私はこの年になっても日本のことをまだ何も
知らない。
でも、外の世界を見てきたからこそ、どういうところが他と違っていて素晴らしいのかわかる
つもりです。

日本人であれば自然にできて、そのままで素晴らしいこと、外国人はもちろん日本人にも喜ばれることが、わかります。


時代が移っても変わらず引き継いでいきたいこと、変わってゆく方がいいと思うことを、芸事や文学ではなく、侍でもなく、忍者の生き方の中に私は見出したのです🎋


フィクションの派手さや綺麗事ではなく、この
現実社会でできる共存の道を伝えたい。
不必要に攻撃的でなく、諦めでもなく過剰な自己犠牲でもない、
自然で骨太な生き方 があるのです。



そういうことを伝えたい一心で、私はアラフィフでお母さんで何の実績もないけど、

大馬鹿もの

になることを選びました


少なくとも知らないということを知っている。(「無知の知」)
だから、これから学んで学んで行動して、失敗したことも含めて伝えていけばいい。
笑いたい人はどうぞネタにして笑ってください



それが、これまで出会った素晴らしい人達への恩返しになると信じているし、貴重な経験を共有することが、誠実に生きる人達を元気づけることに繋がると思うので。
そして、日本を好きな人にそのまま好きでいてほしい。もっと好きになってほしい。
だから日本と正面から向き合うことにしました。
こうして動ける身体と環境に感謝です



そしてこれこそが、忍者の生き方をなぞりながらコミュニケーションやおもてなしの心を伝えるという、この仕事を選んだ理由です。





節分(春節)を前に長い決意表明をさせていただきました。お付き合いいただきありがとうございます。


皆さまに佳い春と福が訪れますように


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