『ローマ法王の休日(habemus papam)』
監督:ナンニ・モレッティ
ローマ法王の死去後、次の法王に選ばれたメルヴィル。
法王という職務の責任の大きさに押しつぶされたメルヴィルは、
ローマの街に逃げ出してしまう。

この映画は、なんて言ったらいいんだろう?
・・・コメディです。
純粋に、すごく笑えた。
オープニングから本当に笑える映画だった。
ただ、ラストが・・・。
なんとも言えないラストなんだよね。
というか、映画全体はコメディとして
純粋な笑いで作り上げられてるんだけど、
メルヴィルの心境だけが現実の中にあるような。

キリスト教の国で、このラストシーンは、
どういう風に受け取られたんだろう?
イタリアの新聞では絶賛してるみたいだし、
カンヌ映画祭でも話題になったみたいだけど。

ラストシーンの受け取り方次第で、
映画全体の印象は大きく変わってくると思う。
どの映画もそうだろうけど、この映画は特にそうだと思った。
あと、枢機卿であろうと一人の人間だってことが、
かなり印象的だったなぁ。

もちろん聖職者も一人の人間なんだけど、
神の名のもとに一般の人間を導くような、
そんなイメージだったの。
この映画はオープニングからその考えを覆しちゃうんだよね

オープニングシーンは
コンクラーヴェ(法王選挙)から始まるんだけど、
コンクラーヴェに参加してる枢機卿全員が、
こう思ってるんだよ
「神様、一生のお願いです。
どうか私が選ばれませんように。
」
よく考えれば、ローマ法王の責務って
常識を超えた大きさがあるもんね。
本当に声を出して笑えた映画だったんだけど、
「人間の信仰心」や「信仰を離れた日常」、
「信仰を離れた場所での神の存在」について
考えさせられた。![]()
劇中に出てくるチェーホフの「かもめ」も、
この映画の伏線の一つになってるんだろう。
「典型的なチェーホフの物語は
外的な筋をほとんど持たない。
チェーホフの小説や劇においては何も起こらない。」
とされている。
「何かが起こっても、何も起こらない。」
チェーホフ作品は、こんな風に指摘されることもある。
メルヴィルが一般市民の演劇関係者と夕食をしている時、
新法王が民衆の前に姿を現さないことについて
テレビのニュースで取り上げられる。

ニュースの間は、法王の件について
思い思いのことを話すが、
次の瞬間には演劇論や自分の抱える問題、周りの人間の噂話になる。
このシーンでメルヴィルは、
まさに「何かが起こっても、何も起こらない」
という現実を感じたのかもしれない。![]()
・・・コメディの要素で隠されてるけど、
実は深い内容の映画です。

いろんな意味で私はこの映画、好きです。
話は変わるけど、
法王選挙=コンクラーヴェって
「天使と悪魔」(監督:ロン・ハワード 原案:ダン・ブラウン)で
私たち日本人にも多く知られるようになったなぁ。
っと、今回の映画を見て実感しました。

ちなみに「ローマ法王の休日は」
今年の7月に全国で上映予定です。

ローマ法王の休日
http://romahouou.gaga.ne.jp/







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