なんともはや・・
歳とは言いたくないがちょっと体力は落ちたかな・・・。
特に筋力は鍛えていないのだから仕方がないと言えばそれまでだが自分ではまだまだどうにかなると思っていた。
物を持ち上げたり動かしたりする時には間違いなく実感するけれどゴルフではまだまだ大丈夫ではないかと思っていた。
この5年ぐらいで確かに飛距離は落ちた。
それは仕方ない。
歳にかかわらずしっかり飛ばす人もいる。
そういう人は日々練習をしている。
問題はその肝心な練習もしないで過去のイメージだけにすがっている人間だ。
よく過去の成功体験にどっぷり使っていてはダメになると言われるし私も言ってきた。
でもゴルフぐらいはという甘えがある。
昨日のメンバークラブの月例杯でガツンと叩かれてしまった。
ショートホールのティーショット。
グリーン横のラフ。
ピンまで5メートルほど。
チョンと寄せてあわよくばパー悪くてもボギーのはずだった。
ところがところがイメージだけで実際はボールにあたった音は コーン まずい・・・。
ボールはピンに寄るどころかピンを無視して向こう側のバンカーまで一目散。
ガクッ!
他のみなさんは既にピンの近くにマークしている。
あまり得意ではないバンカーショットに気を入れてドスン。
アリャー!
ボールは勢いよくグリーンを駆け抜けて低い方のグリーンの外に出ていった。
よくある光景だよなと自嘲気味につぶやきながら4打目を打つ。
グリーンには乗ったけれどそれでも他の人のボールの位置よりも遠いためまずパットは私から。
当然こんな時は入らない。
カップの近くでストップ。
お先にと言ってカップイン。
この間5打も私ひとりのまさにワンマンショー。
ゴルフというのは何打叩こうが自己責任なんだから打数で人様に気を使うことはないのだけれどこの場合はどうもすみませんと言ってしまった。
みなさんもさすが。この間何も言わずにじっと待っていてくれた。
月例コンペだからこれでいい。
私自身、結構昔(クラブを持って走り回っていた頃)を思い出してしまって体力が落ちるだけではなくて腕も落ちると痛感した。
あまり昔(いい感じのゴルフをしていた頃)を思い出さず今の自分を見直してそれなりのやり方を考えないといけないと感じた次第。
次回のゴルフは果たして如何に・・・・。
日本ベスト・ドレッサー賞
11月30日夜
恒例の日本ベスト・ドレッサー賞の発表・授賞式に行った。
渋谷セルリアンタワーホテルのボールルームでの第40回の記念イベントだった。
受賞者の発表はすでにされているので改めてここでは説明しないけれど私自身はこのイベントを非常に期待していた。
岡山でも オカヤマ・アワードというイベントが10月に開催されたばかりだったのでそれなりのイメージを持っていた。
今回ご招待していただいた私のお世話になっている方も今回初めて出席されたけれどちょっと戸惑っておられた。
会場はまさに満員電車状態でただ一杯入っているという感じで我々背の低いものにとってはステージも低くあまりよく見えない。
発表も受賞も事務的で簡潔で総時間も短いものだった。
こう言っては失礼だが、このイベント、表彰は果たしてどういう意味を持っているのかよくわからない。
新しい若い人の登竜門でもなさそうだし人の多いこの東京でこのイベントがいかなる価値を持つのか微妙であった。
むしろオカヤマ・アワードのほうが期待できるのではないかという気がした。
それに関して考えたのは実はこれからは東京中心ではなく地方に新しい動きが台頭しているのではないかということだ。
新しいスターを売り出すべく大きなトラックの両側に宣伝、売り込み用の写真ポスターを張りその趣旨の大きな音声を流しながら渋谷の街を回遊しているのを見ると何となくさみしくなった。
東京でヒットさせることがすべてのスタートになっている現代は極端に偏りすぎているということを感じる。
東京を否定する気持ちはほとほとないが地方の頑張りがますます必要になっている。
実際にこの地方から発信することの価値が時代を動かすのではないかという思いをより強くすることになった。
人口も多く国の重要な位置を占める人たちが多くいることは間違いのないことだがそのことが新しい可能性をより小さくしているように思えてならない。
人それぞれの価値観があり時代の流れの勢いというものがあるがその流れの川筋は微妙ではあるがすでに変化しているように思えてならない・・・・。
結婚したくない
先日のニュースで未婚の彼女のいない男性が60%を突破とあった。
女性も半数近くになるらしい。
どうしてそんなに結婚したくないんだろう。
結婚しなくとも付き合うぐらいはしてもよさそうに思う。
我々の若いころはいくらでも彼女はほしいと思うぐらいだった。
実際にどうだったかは別として願望はだれしもあったと思う。
まったく別の人と付き合うのだから自分のことばかりではなく相手のことに気を使わなければならない。
自分とは全く別の生き方をしてきた人間が出会って協力し合うことが人間社会では非常に大切なことだと思う。
話すのが面倒くさい、気を使うのが苦手だといろいろ理由はあると思う。
一人が一番気楽でだれにも束縛されず自由気ままでいいと思う気持ちもわからぬではない。
しかし所詮人間は一人では生きていかれない。
いろんな人に助けてもらって、教えてもらって、議論・口論をしっかりやって、憎まれたり同情されたり妬まれたり、これが人間の面白さであり生きることの意味につながる。
そして、まったく見ず知らずの二人が出会って一緒になるなんていうのは“宇宙的魅力”だと私は思う。
なぜならそこにまったく新しい生命を生み出すことができるから。
私も結婚して自分の娘たちを見て、そして孫たちを見てこんなに素晴らしいことは世界中で他にはないと思うぐらいに新しい生命の誕生は素晴らしいと思う。
まさに宇宙的。
若い人たちも今自分がここに存在することの何にも代えられない価値を知ってほしい。
そのことに気がつけば自分だけの都合で自分の人生を単に楽なほうに向けるのは決していいことではないことに気づけるのではないか。
確かに人間関係というこれまた宇宙的に難しい関係が存在する。
ほんのちょっとしたことでわけのわからない最悪の状態に落ち込むことも数限りなくある。
それも予期せぬときに予期せぬ規模で襲ってくる。
しかしどれもこれもそんなものと見なせばそんなもの・・・。
自然は様々な問題を人間にぶつけるようにできてある。
だからこの地球の上で生きている限りは地球の自然から逃れることはできない。
ややこしくなったが理屈は喋るほどややこしくなる。
男女の関係も妙な理屈を排除して気楽に楽しく日々お互いの新しい発見をしてかつその発見に驚いていけば結構楽しくなる。
腹が立つのも新しい発見・・・・・・。
しっかり相手をつくって面倒くさい楽しみ方を覚えてほしい。
初めて飲んだ酒は全く美味しくなかった。
付き合いで飲む酒は常に美味しくなかった。
今はどうだ・・・夕食近くなると本当に恋しくなる・・・・。