道中 gig from チドリアシ
黄金餅、参照してみまーす。シュプレヒコール、我が秘かな憧れ!最近のデモはすべて届け出制になっていると聞きましたが、パンダに追尾されるってことはやはり’申請済みデモ’だったんですか。なんとなく悲しいですね。目下、自分が参加してみたいのは、ジョジョ立ちと東京ガガガです。思想的な背景が一見皆無なところがオキニの理由なんですが、片方は異様に参加しづらいし片方は多分もうやってないんだろうなぁ。
ところで、前回、メールで話題にしていた朝風呂に関して、朝風呂派の意見を聞いてみたいなぁと思います。僕の友人のロシア人は、めっぽうシャワー好きで「一日のはじまりに朝シャンをするとその日どんなことがあっても耐えられる」と主張します。そこで僕は以下二点に違和感を覚えるのです。①朝風呂派は就寝時、体を清めないまま布団に入るのに抵抗がないのか②(特に日本人家庭に多いと思われる)風呂の中継ぎ制度の原則を破って叱られないのか。二点目に関して、灰猫さんの家庭は確か家族全員が朝風呂派だったということで一応疑問は解消されますが(とはいえ各々の家庭のローカルルールがこの問題に関してどの程度作用しているのか、朝風呂・夜風呂の選択に土地柄や地域文化が反映されているのか、という別の疑問が湧いてきます)一番目のピュアな状態で布団にもぐりたい・布団を汚したくないという僕の心情に照らし合わせると納得がいきません。
よくハリウッド映画なんかみていると、欧米人は平気で靴をはいたままベットの上にごろんとしたり、私服のまま眠りについたりしていますが、あれは見ると強い違和感を覚えます。思い返せば、彼ら欧米人(ロシア人が欧米人か、という議論は置いておいて)も朝風呂派が多いですよね。一方で、彼らにとってベットルームは神聖な場所でもあります。例えば映画において、男女二人が寝室で靴を脱ぐショットがあると、それがベットインを暗示しますよね。そう考えると、彼らとてベット周辺の潔癖さから開放されているわけではなさそうです。むしろ、ある種の神秘性と無頓着さが同居しているようです。
個人的に考えているのはこんな感じです。まず、日本と欧米には風呂文化の違い・家族関係おける身体感覚の差があるということ。風呂文化というのは、端的にいって浸かるか、浴びるかの違い。身体感覚というのは、例えば日本人は、子供がある一定年齢に達すると親子間で肉体的な触れ合いが激減します。一方で、風呂の体を浸からせる風呂のお湯に関しては、経済的な理由等も関係するのか、共用するケースが多いようです。(世界的平均と比べた、一対一での会話で日本人が感じる居心地の良い距離の長さと悪名高い埼京線の満員列車に耐え切れる日本人のアンバランスな気質とも繋がる部分がありそうです)欧米人は、子が成人してもハグやキスといった直接的な触れ合いがあります。しかし、子供の頃から各自の部屋を与え独立を促しますし、シャワールームは一戸に複数あって子供と両親で専用マシンが決まってるなんてこともあるようです。当然、風呂のお湯を共有するなんてカルチャーはないですよね。
仮説だと、おそらく禊(みそぎ)によって穢れを落とした状態で布団(ある種、棺桶や死を象徴するもの)に潜りこみたいという欲望をもつ僕は割と日本的な部分があって、一方朝風呂愛好家で、ある種の神秘性(多分、キリスト教文化や個人主義と関係のある)と無頓着さをベット周辺にもちこむ灰猫さんは欧米か!ってことになります。なんだかこれ以上一人で妄想を膨らませると夜が明けてしまうので、おちゃらけ半分、ここらで引導をお渡しします。精神分析的見地から、もしくは悲劇的見地からの灰猫さんの意見をお待ちしております。時間があったら、ちっとばかし考えてみてくだせえ。それでは、ブエノス・ノーチェス、南米か!
ところで、前回、メールで話題にしていた朝風呂に関して、朝風呂派の意見を聞いてみたいなぁと思います。僕の友人のロシア人は、めっぽうシャワー好きで「一日のはじまりに朝シャンをするとその日どんなことがあっても耐えられる」と主張します。そこで僕は以下二点に違和感を覚えるのです。①朝風呂派は就寝時、体を清めないまま布団に入るのに抵抗がないのか②(特に日本人家庭に多いと思われる)風呂の中継ぎ制度の原則を破って叱られないのか。二点目に関して、灰猫さんの家庭は確か家族全員が朝風呂派だったということで一応疑問は解消されますが(とはいえ各々の家庭のローカルルールがこの問題に関してどの程度作用しているのか、朝風呂・夜風呂の選択に土地柄や地域文化が反映されているのか、という別の疑問が湧いてきます)一番目のピュアな状態で布団にもぐりたい・布団を汚したくないという僕の心情に照らし合わせると納得がいきません。
よくハリウッド映画なんかみていると、欧米人は平気で靴をはいたままベットの上にごろんとしたり、私服のまま眠りについたりしていますが、あれは見ると強い違和感を覚えます。思い返せば、彼ら欧米人(ロシア人が欧米人か、という議論は置いておいて)も朝風呂派が多いですよね。一方で、彼らにとってベットルームは神聖な場所でもあります。例えば映画において、男女二人が寝室で靴を脱ぐショットがあると、それがベットインを暗示しますよね。そう考えると、彼らとてベット周辺の潔癖さから開放されているわけではなさそうです。むしろ、ある種の神秘性と無頓着さが同居しているようです。
個人的に考えているのはこんな感じです。まず、日本と欧米には風呂文化の違い・家族関係おける身体感覚の差があるということ。風呂文化というのは、端的にいって浸かるか、浴びるかの違い。身体感覚というのは、例えば日本人は、子供がある一定年齢に達すると親子間で肉体的な触れ合いが激減します。一方で、風呂の体を浸からせる風呂のお湯に関しては、経済的な理由等も関係するのか、共用するケースが多いようです。(世界的平均と比べた、一対一での会話で日本人が感じる居心地の良い距離の長さと悪名高い埼京線の満員列車に耐え切れる日本人のアンバランスな気質とも繋がる部分がありそうです)欧米人は、子が成人してもハグやキスといった直接的な触れ合いがあります。しかし、子供の頃から各自の部屋を与え独立を促しますし、シャワールームは一戸に複数あって子供と両親で専用マシンが決まってるなんてこともあるようです。当然、風呂のお湯を共有するなんてカルチャーはないですよね。
仮説だと、おそらく禊(みそぎ)によって穢れを落とした状態で布団(ある種、棺桶や死を象徴するもの)に潜りこみたいという欲望をもつ僕は割と日本的な部分があって、一方朝風呂愛好家で、ある種の神秘性(多分、キリスト教文化や個人主義と関係のある)と無頓着さをベット周辺にもちこむ灰猫さんは欧米か!ってことになります。なんだかこれ以上一人で妄想を膨らませると夜が明けてしまうので、おちゃらけ半分、ここらで引導をお渡しします。精神分析的見地から、もしくは悲劇的見地からの灰猫さんの意見をお待ちしております。時間があったら、ちっとばかし考えてみてくだせえ。それでは、ブエノス・ノーチェス、南米か!