お祭り | 航海日誌

お祭り

先頃、我が故郷、稲毛の浅間(センゲン)神社祭礼がありました。


子供の頃は毎年楽しみにしていて、前日の昼間には年寄り達が家の軒先に藁縄を貼り、半紙を幾重にも折った四垂(シデ)を所々に編み込みますと、気分はすっかりお祭りです。


大きな家の門前には、竹で造った骨組みに帆布の天幕を載せ、小さな机と椅子を出して御神酒を振る舞い、気の早い世話人達が煙草を飲んでおりました。

昭和30年代当時は、まだ煙管(キセル)に刻みを詰めていまして、二口三口飲んだら煙草盆にカンカンと雁首を打ち付け、プッと吸い口から息を入れて、煙草入れに仕舞う仕草が、なんだか大人だなぁ~…と思って見ておりました。
めっちゃくちゃヤニ臭いですけどね。


神社は家の裏から出れば2~3分の所にあり、夕方になれば本番前のお神楽(カグラ)の音が聞こえてきました。

裏は小さな山になっていて、辺りはそのまま神社の境内の一部になっておりました。


私達、腕白小僧の秘密基地も境内の笹薮の中にあり、駄菓子や懐中電灯を持ち込んで、クラスの可愛い子の名前を言い合ったりしてましたっけ。



父が癌で亡くなり、母も病に倒れた家は、ともすれば陰鬱な空気で押し潰されそうになりましたが、そこはお祭りです。
見た事のない程の人の数に、寂しいだのお金が無いだのの気持ちはすっ飛んでしまいました。


土地の老人に聞くと、昔はダシや神輿があったそうですが、私の記憶にはありません。
そのおかげかどうか分かりませんが、喧嘩も『くりからもんもん』の馬鹿タレも見ず、なかなか平和なお祭りだったと記憶しています。


まぁ、テキヤの出店のみのお祭りですから、その筋の人の集まりには違いないですが、馬鹿騒ぎ的なお祭りでは興ざめでしょう。



私は、小学生からバイトをしていたのにも拘わらず、小遣いにはいつも困っており、何とかお祭りまでに五百円はキープするようにしていました。


当時、綿菓子と金魚掬いと輪投げと射的は50円。
水飴もたしか50円だったかなぁ
中にミカンやスモモを入れて割り箸2本を刺した水飴は、氷にピンポン球ほどの穴を穿った台に置かれてました。

練れば練る程白くなって甘くなるよと言われて、一所懸命練ったものでしたが、ミカンを食べたり舐めたりしているうちに練るのもいい加減面倒臭くなり、いつの間にか無くなっていましたっけ。


子供達にけっこう人気があったのは飛行機。
それも、柱にタコ糸を張り、滑車の付いた飛行機を手元の糸を上げたり下げたりして、飛行機が行ったり来たりするものでした。
名前は『モノレール式飛行機』
なんだ?そりゃ
 (´Д`)

飛行機じゃないじゃんか。

売り声もありまして…
ヨーロッパから原っぱへ
イギリスからキリギリス


…いわゆる勢い!!
で売ってましたね。
賢明で貧しい私は買った事はありません。
ただ、ずっと見ていただけです…


私が唯一欲しくて必ず買った物は戦車でした。

もちろんゼンマイで動き、大砲の下(?)から火花が出てギリギリと走るんです。
火花はライターの石をやすり状のフライホイールで擦るものでして、手を翳しても熱くはありませんでしたね。
それを持って帰って布団を波うたせて山や谷を造り、正面から顔を低くして見るのが大好きでした。


死んだ父に初めて買って貰ったのがその戦車なんですね。

「いつまで遊んでいるんだ」と、叱ってくれた父の声が、聞こえると思っていた頃の話しです。




他にも、『陸(オカ)ヤドカリ』『カラーひよこ』『海ホウズキ』のようなガラクタがありましたが、今もあるんでしょうか。

久しぶりにお祭りに行きたくなりました。