「先生、どうしたら主人のことを愛せるようになるんですか?」




見返りを求めず、主人に尽くして尽くして尽くし切れっと何回も言われたんです。


例えば、朝は主人より30分以上は早くに起きて、身支度整え、化粧もきれいにしてから食事の用意をするとか、主人が起きられたら、正座して手をついてご挨拶をするとか、こんな事は、最初抵抗があっても慣れてしまえばなんともないことで。


そうそう、面白いことに、私が主人に手をついて挨拶をするようになったら、子どもたちも皆、主人と私に手をついて挨拶するんですね。子どもたちの方が私よりも抵抗がないみたいで、母がすれば、当たり前のように子どもたちも真似をします。



そうなんです。尽くし方はこうですって、やりなさいと言われれば、私はやれます。全て子どものためになるならば。でもですね、心が付いていかなかったんです。もともと、恋愛結婚でないし、主人のことをすごく好きだと思ったことがないんです。



「恋愛した数が多い人ほど、愛情が薄くなってしまって、主人や子どもたちに愛情を注げないものなのよ。」



人の想いの恐ろしさを説いているお話会では、恋愛なんてするものではないということになっています。一つの恋愛でそのまま結婚に繋がってしまえばいいみたいなのですけどね。


特に想われるのがいけないらしくて。相手に悲しい想いをさせてしまうとその相手の想いが今の結婚生活の中でなぜかうまくいかなくなるものに繋がっているのだとか。


こうなってきますとですね、想いは”念”であるという意味みたいですね。まあ、”願い続けていれば、必ず叶う”と言われる方もみえますから、あながち嘘だとは思えないところもあります。



でも、今更、過去は変えられません。色情の因縁を作る種まきをしてきてしまったとしても、どうしようもないんです。


で、種まきをしてしまったのなら、芽が出てくる前につみ取れっという話になってくるのですが、これが何かというと、徳積み、人助けをすることなんですね。



それで、最初の一歩の徳積みが主人に尽くすこと、主人を助けることになるのかなって私は思っている訳です。


でも、尽くすのに愛がないなんて、おかしな話。そして、先生には

「もっとご主人を愛しなさい。」

っと言われるし。それで、どうしたら愛せるのか聞いた訳なのです。




「最初は、形だけでもいいから、心は必ず付いてくるから、ご主人に恩を感じて尽くし続けることです。情が必ず湧いてきますよ。」