先日、義父(主人の父)が亡くなりました。病名は、肝臓癌、最後は肝硬変でした。若い頃から飲んだくれで、楽しい酒を飲んだことのない方で、飲めばぐたぐた家族の悪を言い、時に暴れ、外では、車で崖から落ちたり、道に倒れていたりと、家族が警察に足を運ぶ回数は数知れず、謝り歩いた家は数知れずというすごい義父だったようなのです。



そうそう、こんな風に家族中に迷惑をかけまくり、家族を苦しませるたちの悪い人のなる病気が肝臓癌だそうで。



でも、私は、ひどい義父を知りません。一緒に暮らしていませんでしたし、家もすぐ行ける距離ではなかったので、盆と正月とたまに春休みとゴールデンウィークぐらいしか会わなかったからです。



私が主人と知り合う前に義父は脳梗塞を起こしていて、私が義父と初めて会った時、義父の言葉は少しわかりづらい感じでした。それを同居の家族の者は、酒癖は悪いし言葉はわからんしっとばかにしたりもしていました。


私はというと、お話会を知る前も、たまにしか会わない義父です。帰省時には、たくさんのお土産を持って行ったり、行事あるごとに、義父母にはプレゼントをしたり、もちろん義父には、優しい嫁だと言われる自信がある程でした。


義父は、私の名前をいつも義姉の名前と間違えて呼んでいました。でも、そんなこと、訂正したこともありません。

「はい、何ですか、お義父さん。」

っと言った感じです。そのせいか、義父は、私には優しい人でした。いつも飲んでいましたが、私は義父に怒られたり説教されたこともありません。それは、お話を聴くようになって、親への接し方を教えて頂くようになってから、いっそう義父が私を見る目を変えてくださったのではないかと思うほどでした。



誰よりも義父に気を使い、にこにこしながら義父の喜びそうな話題で話し、義父の喜ぶことしかしなくなりました。義父には、いつも酒の肴になるものを家で作って持っていきました。酒だと言われれば、酒を注ぎ、飲めと言われれば、飲みたくなくてもにこにこして頂きました。それは、我慢というよりも、義父に喜んでもらって嬉しいと言った種類のものだったと思います。



亡くなる3日前にも義父に会いに行きました。もうあまり話せなくなっていた義父が私の手をぎゅっと握り、私をじっと見つめたんです。そして、ちゃんと私の名前を呼ばれました。主人と私が驚いて顔を見合わせたほどです。




親は、とても大切です。それが義父母であっても同じです。例え、どんな親だったとしても、親を子どもが批判するなんて、許されないことだと思っています。私が親を批判していれば、それを見ている私の子どもは、きっと私のことを批判するでしょう。でも、それでは、仲の良い家族になれない。誰も幸せにはなれないって思うんです。



そして、これは、今聴いているお話会がどうのでなくても当たり前のことなのではないかと思っています。っと偉そうに書いてみたところで、所詮、私は一緒に暮らしておりませんでしたので、毎日、義父と接しながら、本当に仲良くできたかどうかは、定かではありません。




お葬式の終わった後に、主人が初めて、義父の悪口を言いました。


「子どもの頃から、父が帰ってくるまで、夜中の2時3時まで、心配で眠れなかった。大人になってからは、母と何回警察や迷惑かけた家に謝りに行ったことか。飲まなければおとなしい人なのに、飲むとずっとずっとぐだぐた言われ、本当にうざったかったんだ。」




そんな風に思ってたなんて、知りませんでした。結婚してから、毎晩、

「元気か?大丈夫か?」

と電話をかけていた主人です。亡くなる一月前からは、週に2.3度くらいも車で4時間かけて帰省していた主人です。夕方出て、夜中に帰ってくることもありました。



私は、お話会で聴いているように主人に話しました。



「大変だったんだね。今まで、ずっとつらかったね。でもさ、あなた、生きてるじゃない。あなたが今生きてるってことだけで、おとうさんに感謝しよう。生きていられる、それだけで感謝しよう。」