神社の近くで育った子は幸福度が高い? | 鹿児島県最古の稲荷神社

鹿児島県最古の稲荷神社

~国の天然記念物ヤッコソウ発祥の地から~

9号“いなりの声より”

 

わがくには 神のすゑなり 神まつる

昔のてぶり わするなよゆめ

     明治天皇御製

 

【神社仏閣の近くで育つと幸福度が高い】

大阪大教授らが、そんな研究結果を出しています。

本当にそうなのでしょうか。

そもそも日本にある神社はおよそ八万社。

コンビニや薬局よりも多い数です。

つまり、私たちの住む地区には必ず神社があり、私たちは皆「神社の近くで育った」人間なのです。

そういう意味でいえば、皆、幸福度が高いといえるはずですが…

この研究結果の比較から考えると結論は違いますね。

 

おそらくこの論文には、一文付け加えることで、ぐっと正解が近くなるはずです。

それは、

「大切にされている」

の一文。

 

―そう、「大切にされている」神社かどうかが、住民の幸福度のポイントとなってくるのです。

 

 

神社を支えるのは神職ではありません。

その地元の住民たちです。

地元の住民が神事を大切にし、祭りごとを大切にし、神社をきれいにし、神社を修繕・管理することで、神社は維持できます。

しかしその労力・経済力は、はっきり言って大変なものです。

大切にされている神社は、それらの負担が大きくても、住民がその意味を理解し、次の世代へと大切に引き継がれます。

 

「自分の利益のためではない何か」

「自分が生きる上での感謝の対象」

をしっかりと受け継ぐので、

自然と自分勝手な教育は排除されます。

その教育の目的は「公(おおやけ)」であり、お金の損得ではなく「自分の負い持つ業(わざ)」で社会に貢献する形になります。

小難しい表現をしましたが、ようは

「自分のできることを、できる範囲で、他者のために行い、社会に役に立つ」ということです。

だから教育が行き届き、

教育が行き届くから経済力が身につき、

経済力が身に付くから神事を大切にする

という良いサイクルが生まれ、結果、幸福度が高くなるのです。

 

これが

「なるべく他者の力で、自分のために何かをしてもらいたい、社会とかは政治家に任せてさ」と自分の力を伸ばそうとせず、利益のみを追求してしまうと、神社や公共のことを思いやる心は生まれません。

だから教育が行き届かず、

教育が行き届かないから経済力が身に付かず、

経済力が身に付かないから神事なんて見向きもできない

という悪いサイクルが生まれ、結果、幸福度が低くなるのです。

 

 

 

 

さて、そこで冒頭の歌です。

「我が国は神の後裔である。神を祀るという昔からの習わしを、決しておろそかにしてはいけない」

と詠まれたのは明治天皇。

 

あなたの住む一番近くの神社を思い出してみてください。

神を祀るという昔から大切にされてきた習わしが、今も行き届いていますか?

あなたの一番近くの神社の姿は、あなたの幸福度を示す鏡かもしれません。