正論より思いやりの方が大事な理由
今朝、リビングで毛布にくるまったままいつまでも朝食を食べようとしない下の子をつい怒鳴りつけてしまい、はたと自分がイライラしている事に気づいた次第ですが、この時期はどうも心と体の疲れが溜まりやすい様です。猛省です。こんな風に人に感情的に言葉をぶつけてしまう事は誰しもありますね。でもその行動は決して根本解決にはなりません。親が子に日々それをやったら、子供は確実に鬱屈して行きます。そして子供も、親が自分にするのと同じ態度を他人にも、将来自分の子供にもする様になります。夫婦関係も同じく。ぶつけられた感情は長く相手の心の中に残り、積み重なるとある時プツッと爆発したりします。あるいは積み重なってくると不義な行動は取るまいとしている自分の中のルールがバカらしく思えてくるかもしれませんね。職場仲間や上司部下も同じく。感情的な人や攻撃的な人とはコミュニケーションを取る事が嫌になって、ほうれんそうがおそろかになったりして、仕事に支障すら生じる事もあります。結局は、人にきつい言葉を言っている本人が孤立して不利益を被る事になります。人とは、実に自尊心が強く感情に支配されている生き物です。その事象が、正しいか正しくないか正義か悪か(左脳的・理論的思考)、よりも、相手が自分を尊重したか自分を見下したか、人前で恥をかかせたか(右脳的・感情的思考)、の方が何倍も大きな問題になるのです。忠臣蔵の話を思い出してみて下さい。吉良上野介に恥をかかされ、強い怒りを感じた浅野内匠頭が、後に起こる自身の切腹やお家取り壊しといった事態をも鑑みず吉良に斬りかかってしまったのはそういう理由です。かつて、恥は死よりも重かったのです。さて、きつい言葉を言ってしまう人の立場からすると、自分が絶対的に正しくて相手が間違っているわけだから、キツく諭すのは当然の事、という思いです。しかしこれも実に感情的な行動です。理論的に考えてみれば、相手の気持ちや自尊心を鑑みて、場面も考えた上で穏やかに諭すべきです。ついカッとなりがちな人は、そういう場面に出くわした時、一旦は席を外したりトイレに行くなどして、とにもかくにも時間を少し置く事ですね。同じ事を言うにしてもトーンダウンした状態で相手に伝えられるでしょう。長々と書いてしまいましたが、大事な事は、人の持つ自尊心を尊重しながら、かつ物事を正しい方向に導いていく事です。あと、人を変えようと思う事は愚の骨頂です。そのエネルギーは自分を変える方へ向けるべきです。合わない人は、そういう人だと受け入れてしまう事、それから、ある方の話で、なるほどと思ったのが、他人(あるいは家族)がどれだけイラついていても不幸であっても、自分は決して影響を受けてはならず、自分だけはいつも上機嫌でいるよう努力するべき、という話です。自分も常に周囲の人に影響を与えているわけで、自分が明るければまわりも明るくなる、そういう意味ですね。でも、誰しも、意に介さない問題が日々降りかかるなか、上機嫌でいる事って、なかなか難しい。そんな時は、上機嫌な人、明るい人、前向きな人と一緒にいる事ですね。(あぁ、そうやって上機嫌な人に人や情報が集まり、運が上がっていくわけだ)