葬儀は身内だけ20人ほどで行われました。
通夜の前の納棺には母と兄と私と息子が立ち合い、棺には帽子、扇子、ナンプレ、写真、母から父へのラブレターを入れた。
真っ白の旅支度をしたした父。
通夜の時間が近くなると久しぶりに会う親戚が次々と来てくれて、こんな機会じゃなければどれだけ再会を喜び合えただろうと残念に思う。
慰めの言葉をくれる人、抱きしめてくれる人、父の為にすでに涙してくれている人。
優しさに包まれながら通夜と通夜振る舞いは無事に終わった。
妙な緊張で、目の前にある美味しそうなお寿司や煮しめに全く手を伸ばす気にならずお酒ばかりが進んでしまう夜。
父が死んでしまって悲しいのに、色んな人と話せるのは嬉しい。
しかしこういう機会でも無ければなかなか集まれないのも事実で、とくに父方の親戚は随分盛り上がっていた。
その夜、私と夫と息子は葬儀場内の宿泊部屋に一泊した。
ホテルのように綺麗な部屋で、立派なジャグジーバスつきのお風呂、4人用のソファーがある明るいリビング、ふかふかのダブルベッドが2つある寝室!
スウェットに着替えてからコンビニにカップ麺などの軽食とお菓子とお茶とお酒を買いに行った。
私はお酒を持ってお父さんの所へ行った。
棺の前に椅子を持って来てお父さんと晩酌して色んな話をした。
涙が沢山出た。
翌日のために早めにベッドに入ると、父の夢を見た。
明るく晴れた野外の駅に母と兄と私は3人で居て、目の前の緑色の電車には父と母方の新潟の祖父母(母の両親)が乗っていた。
すでに扉は閉まっていて声は聞こえないが、ものすごく楽しそうに笑いながら3人は話していた。
電車が走り去り、「行っちゃったね」と私が言うと母は少し呆れたように笑って「私、止めなかったのよ」と言った。
そんな夢だった。
翌日、告別式の前早めに母と兄はやってきたので、母にその話をしたらかなり驚いていた。
まず私が頻繁に父の夢を見るのに母は全く夢に出てこないと毎度悔しがるのだけど、今回は特にメッセージ性があるような内容だったのも確かで。
「どうして、父さん自身の両親じゃなくて、母さんの両親と行っちゃったのかな?変な夢」と私が言うと母が行った。
「同じ宗派だからよ!永平寺に行ったんだよ!」
新潟の祖父母も、父と母も曹洞宗なのだ。
そう聞いたら、夢だけど夢じゃないような、お父さんは笑顔で無事に旅立てたのだと確信出来て胸が一杯になった。
告別式も粛々と終わり、出棺前には棺の中に父が大好きだったケンタッキーフライドチキン(笑)
それと私が前夜に買った菊正ピンの小さい紙パックも居れた。
参列者みんなで花を入れていき棺は溢れるほど花でいっぱいになった。
お父さん、お疲れ様でした。
火葬場で最後のお別れを済ませて焼香。
母と息子が泣いていた。
火葬の間、別室で食事をした。
お腹が空いているのにやっぱりあまり食は進まなくてちょこちょこつまみながらお酒を呑む。
隣で息子は私と母からもらって3杯のご飯を完食していた(笑)
泣いたり笑ったり食べたり忙しいやつ!
お骨あげが終わると、そのまま火葬場で解散となった。
お礼を言いながらお見送り。
母の親戚メンバーはせっかく新潟から来てくれたので自宅に寄ってもらい軽くお茶してから見送った。
その後葬儀屋さんに連絡し、後飾り祭壇を作ってもらいようやく父の居場所が出来て私達も一息。
緊張していてあまり感じていなかったけど、急にどっと疲れが・・・
夕飯は「お疲れ会だから奮発しようね」と母が兄と相談しながらイタリアンの出前を頼んでくれた。
夜は体が床に沈んでいくような深い眠りを体験しました。
翌日の昼ごろ私と息子は自宅への帰路についた。
日常が戻ってくる。
心に空いてしまった穴に傷つかなくなるまでは時間がかかるだろうけど、生きていかねば。