一般的には、集中が深まり→そして瞑想状態に入っていく、と考えられています🤔

しかし、集中の先に瞑想はありません。
今日は「集中」と「瞑想」について解説していきます。



登山のゴールは山頂じゃない


ヨガ修行のプロセスを段階別に現わした「アシュターンガ・ヨーガ(8支則のヨーガ)」を改めて見てみましょう。


≪アシュターンガ・ヨーガ(8支則のヨーガ)≫
①ヤマ(禁戒) 
②ニヤマ(勧戒)
③アーサナ(座法)
④プラーナーヤーマ(呼吸)
⑤プラティアーハーラ(制感)
⑥ダーラナー(集中)
⑦ディヤーナ(瞑想)
⑧サマーディ(三昧)

これを見る限りでは「⑥集中」の次に「⑦瞑想」があります。やはり段階としては、集中→瞑想となっていますね🙄

しかし、この「集中」と「瞑想」について理解を深めていくと、この2つのマインドコントロール法は、対極な存在であるということに気がつきます。


登山に例えて考えてみましょう🏔

登山の目的地はどこだと思いますか?

・・・山頂??
いいえ、違います🙅‍♂️

登山の目的地は「お家」です🏠
山を登り、山頂にたどり着いた後、下山をして、安全にお家に帰るところが最終目的地です。

なので、その最終目的地に向かうためには、「山を登る↗️」というプロセスと、「山を下りる↘️」というプロセスがあります。
目的地は一緒でも、そこには対極なプロセスが存在しているのです。

ヨガも一緒です🧘‍♀️

「三昧」という最終目的地に向かうためには、「集中↗️」というプロセスと、「瞑想↘️」というプロセスがあります。そして、「集中」と「瞑想」は、登山のときのように対極な関係性にあります。

「集中」とは、短い時間で、狭い範囲にエネルギーを注ぐという、短距離走的なマインドコントロール法です。

「瞑想」とは、長い時間で、広い範囲にエネルギーが広がるという、長距離走的なマインドコントロール法です。

集中には「よっしゃ、集中しよう!」という自らの意思が必要ですが、瞑想にはその意思が無く、空間全体と自然に調和していくようなエネルギーの広がりがあります。

「集中」と「瞑想」は、対極な存在なのです🧘‍♂️🧘‍♀️



集中の先に瞑想は無い


「集中の先に瞑想は無い」という意味が、なんとなくイメージ出来ましたでしょうか。

なので、集中が上手な人が、瞑想が上手か?というと、意外とそうではなかったりします。

短距離走が得意な人は長距離走が苦手だったりするのと同じような感覚ですね🏃‍♀️

先程話したように、ヨガの最終目的地は「三昧」
で、そこに向かうためには集中↗️と瞑想↘️の両方の対極な技術が必要です。

まあとにかく、アシュターンガ・ヨーガ(8支則のヨーガ)で教えられているように、まずは「集中」という段階において、強すぎず弱すぎず、ちょうど良い技術を養っていくことが目的地に近づくために重要だと思いまーす。

おわり