横浜に住んでいた田村育子(仮名)さん、元気ですか?
学生時代、田村さんには色々とお世話になり、本当にありがとうございました。
私は今でも時々、田村さんのことを思い出し、とても懐かしく思うのと同時に、感謝と反省の気持ちが複雑に交錯し、言い知れぬ思いに包まれます。
田村さんは、私と同じドイツ文化研究会というサークルに所属していました。
背が高く、快活で、ちょっとカールしたボブヘアが印象的な女性で、大学1年の春に出会った時から、彼女には少なからず興味がありました。
ところが彼女は、他の男性部員とは親しく話をするものの、私に対してはクールと言うか、そっけなく、殆ど話をしたことはありませんでした。
ドイツ文化研究会は、体育会系の部活とは違い、毎日練習がある訳ではなく、活動としては、一ヶ月に2回のドイツの文化と語学の勉強会、11月には学園祭への参加(出店)、一年に1度の合宿(親睦旅行)、そして、もちろん、季節ごとにコンパがありました。
日常的には、各人が時間を見つけては部室に行き、そこに誰かがいればお話をしたり、誰もいなかったらフリーノートを読んだり書いたり。
私はと言えば、部室でタバコを2〜3本ぷかぷか吸って暇をつぶしたり、とても居心地の良いサークルでした。
ちなみに、女性部員には清楚系の美人が多かった。
時代は、石川ひとみが「まちぶせ」を歌い、サザンオールスターズがアルバム「ステレオ太陽族」をリリースして、桑田が「栞のテーマ」を熱唱していた頃でした。
もう一つ加えるなら、田園コロシアムで、スタン・ハンセンがアンドレ・ザ・ジャイアントを豪快にボディスラムした年です。この試合は現地で観戦しましたが、これまでに観たプロレスの中で、最も迫力がある、凄い試合でした。
11月になり、学園祭の季節を迎えた頃のことです。
当サークルでは毎年、学園祭で「ドイツの森」をイメージした喫茶室を出店しております。
本番前日に部員全員でテーブルと食器類のセッティングやポスター貼り等の開店準備をした後、たまたま田村さんと帰りが一緒になりました。
田村さんとは帰る方向が同じだったので、2人で渋谷駅までトコトコ歩き、桜木町行きの東横線にピョコンと乗り込みました。
心はウキウキしているのですが、電車内でも、いつもと変わらず話をすることはなく、微妙な距離感でした。
都立大学を過ぎたあたりで、私の降りる駅が近づいて来たので、勇気を振り絞って「どこかでお茶しよう。」と誘ってみました。
あっさり断られるかと思いきやOK👌だったので、自由が丘で途中下車して喫茶店に入りました。
このころは喫茶店が全盛期の時代で、あちらこちらに個性のある店が存在しました。
喫茶店では、コーヒーを飲みながら、1人で気ままに過ごしたり、誰かとゆっくり話をしたり、特に女性と喫茶店に入る場合には、いかに面白い話をするかが勝負でした。
私も簡単にできる手品や小ネタを常に用意し、勝負所で持ち味が発揮できるよう、備えていたものです。
田村さんの話に戻ります。
この日、初めて田村さんと喫茶店に入りました。
いざ話をしてみると、さっきまでの微妙な距離感はどこに行ったのか、非常に会話が弾みました。
サークル内の部員の噂話から、自分の趣味やら人生観、子供の頃の話に至るまで、時間が経つのを忘れて、意気投合しました。
お互いに前かがみになって話をしていたので、すごく顔が近かったことを、何十年も経過した今でもハッキリと覚えています。
そして、その翌日から、学園祭が2日間に渡って行われました。
田村さんについては、学園祭で一緒に楽しみたかったのですが、残念ながら、彼女は急用ができて参加できませんでした。
当サークルでは、コーヒーまたは紅茶とベイクドチーズケーキまたはガトーショコラをセットで提供する店を運営しましたが、私がとても印象的だったのが、女性部員の接客時の美しい立ち振る舞いです。
またまた話が横道にそれてしまいますが、これは私にとっては非常に印象深く、特筆事項に該当します。
黙々とコーヒーと紅茶を淹れていた部長の前田さんたち男性部員の姿はまったく私の視界には入らず、繁田さん、駿河さん、中西さん、瀬下さん、畑名さん、三村さん達、女性部員は、清楚なコスチュームに身を包み、さりげなく上品で、さりげなく知性的で、さりげなく美しかった。
その空間に一緒にいるだけで、私にはとても楽しく、幸せな二日間だったことを記しておきたいと思います。
田村さんの話に戻ります。
学園祭が終わった後も、時々、田村さんと会うようになりました。
その頃、私には付き合っている女性もなく、寂しい気持ちでいたところを、田村さんには「良き女友達」として、親しく付き合ってもらいました。
一緒に横浜に行ったり、私のアパートにも遊びに来ました。
テレビを観たり、音楽を聴いたりしましたが、 6畳一間の狭いアパートで、若い男女が2人きりでいても、不思議なことに、なんの関係もありませんでした。
しかし日が経つにつれ、彼女は私のアパートに頻繁に来るようになってきたので、気付いたら私は、彼女を避けるようになっていました。
そんな私の気持ちを察してか、彼女は私が喜ぶようなイベントをたくさん計画・実施してくれました。
合コンをしたり、坂田さんや高須さん、林さんなど、自分のクラスの女友達を紹介してくれたり、憧れの石崎さん(若い頃のユーミン似)を誘ってくれて、一緒にディスコに行ったり、田村さんのお陰で、胸がトキメク楽しい時間を過ごしました。
ただ、私としては、そんな彼女を少し重く感じるようになってしまい、併せて、自分の生活も忙しくなったことから、2年生の夏頃から彼女とはあまり会わなくなりました。
2年生の冬に、下北沢へ演劇を観に行こうと誘われたことがあり、私としては覚悟を決めて一緒に行くつもりでいたのですが、急に、私一人で観に行ってほしいと言われ、ただし感想だけは聞かせてほしいと脅かされ、興味がない演劇を一人で仕方なく観に行き、その後、無理やり感想を言わされた記憶があります。
今となっては、その頃の彼女の気持ちが分かるのですが、当時は全く理解できず、面倒くせー女だなぁ、くらいにしか思っていませんでした。
そして大学を卒業し、私は彼女の進路にも興味を持たずに、長男であるがゆえ、静岡の実家に戻って就職しました。
携帯がない時代で、彼女は静岡の私の家にも何度か電話をかけてきましたが、私は居留守をつかって受話器を取ることはなく、卒業後は一度も会わずに、現在に至っています。
学生時代、あれだけ親しく付き合い、優しくしてもらったのに、私は彼女の気持ちも考えず、マイペースで「オレ様」でした。
振り返ると、自分の都合の良いように彼女を利用していたのではないかと、後になって、後悔と反省の波が押し寄せてきます。
彼女は感性が豊かで、とても優しく、傷つきやすい女性でした。
そして、あの頃の私のことを一番分かってくれていた人でした。
とても不思議なことですが、彼女と出会ってから、私の東京生活は劇的に輝かしく、楽しいものになりました。
ある意味においては、自分の人生を変えてくれた人だと言っても過言ではありません。
それまでの私は、自分に自信が持てず、大都会の東京で彷徨うような生活をしていましたが、田村さんがいつもいつも私のことを褒めてくれたので、いつのまにか自信を持つようになり、ファッションにも目覚め、付き合う女性もできて、充実した生活を送ることができました。
怖いもの知らずで、人生で一番楽しい時期でした。
毎日がスペシャルでした。
そういう意味でも、田村さんには本当に感謝しているのです。
あれから数十年。人生は山あり谷ありで、あっという間に、過去を振り返る年齢になってしまいました。
青春時代はもう戻りません。
なぜ今になって田村さんのことを、こんなに懐かしく思うのか、自分でも理由が分からず、不思議な気持ちです。
彼女の写真は一枚もありません。
田村育子の映像は心の中に・・・。
彼女は今、何をして、どんな生活をしているのか。
今になって、大学卒業後の進路が気になります。
お互いに健康が気になる年齢になりましたが、彼女が今、元気で不自由なく暮らしていることを心から願っています。
気持ちを込めて、もう一度。
田村育子さん、元気ですか?