ヤンゴンに戻って、もうすぐ2ヶ月が経とうとしています。私のミャンマー滞在も、もうあと残り僅かです。

私は今、Shwe Oo Min meditation centerにいて、Sayadaw U Tejaniya(サヤドー ウ テジャニヤ)の指導のもと、日々心を学んでいます。


U Tejaniyaのもとには、世界中から大勢のヨギー(瞑想者)がやってきます。ベトナム、韓国、アメリカ、カナダ、中国、マレーシア、シンガポール、ニュージーランド、フィンランド、スウェーデン、スリランカ、パキスタン、メキシコ、ペルー etc. 挙げるときりがない程です。とくに欧米社会では、現在生きているテーラワーダ仏教(上座部仏教、原始仏教)の瞑想指導者で最も有名な一人らしいのですが、日本ではほぼ無名です。私もミャンマーに来てたまたま知ったのですが、これほどまでに智慧の深い人間に出会ったのは、生まれて初めてです(見た目は全然そんな風に見えないのですが。。失礼)。

2016年10月に一度滞在していたのですが、その時「ここは最後に来る所だ」と思い、実際にそうなりました。
(2016.6) 国際仏教大学 ITBMU→Shwe Oo Min→Panditarama→Pa Auk→Mahasi→Shwe Oo Min(2018.1現在)。


テジャニヤサヤドーは一生の師になだろうなぁ、と思っています。


自分がこのような道の上にいる動機の一つに、「死ぬまでに本当のことが知りたい」という心の底の底からの願いのようなものがあります。何についてか?と問われれば多分、自分を含む存在する全てについての真実のようなもので、「ダンマ(dhamma, 法)」と呼ばれているものです。
無知のまま死にたくない。ほんの少しでいいから真実を理解したい。家族に話しても全然理解されない(普通そうか‥)、そんな願いを、心の中に持っていました。誰に理解されなくとも、私にはそれを知ることが、これ以上なく価値のあることだったのです。これは前世からの持ち越しなのか?謎です。。


U Tejaniyaは、ずっとずっと知りたかった、本当のことを教えてくれます。そしてここに集まる人々も、純粋にダンマを理解するために来ています。


私は心が、少しずつ、少しずつ、自由になっているのを感じます。


ダンマの実践です。


彼の教えは、テーラワーダ仏教を日常レベルに適応させるものであるため、お坊さんや尼さんよりも圧倒的に在家者で溢れています。(私は尼さんですが。)彼はミャンマーでは完全に異色のお坊さんであり、彼の教えは全て彼が苦難の人生の中から得たものです。
英書の"When Awareness Become Natural"という本はU Tejaniya を知る上で最良の本だと思うのですが、如何せん英語なため日本では読める人が限られてしまいます。言語によってダンマに触れるチャンスが無くなってしまうことが、本当に残念でなりません。。(私自身、言語の壁が最も苦しいものです。)



いつか家族のため、友人のため、必要としている人のために、テジャニヤサヤドーの教えを届けられたらな。