空へのあこがれ
小さなころから、紙飛行機、凧、ゴム動力飛行機、エンジン付き模型飛行機と飛行機づくりを色々とやってたし、空を飛びたいという漠然とした夢をずっと描き続けていた.
在外研究で米国に滞在していた時、FAA自家用飛行機の操縦技能証明を取ろうと、ちょっと努力をしてみた.
日本での操縦技能証明は、(米国の植民地である日本では)米国の訓練実績があれば、実技試験などが免除されるので、後日、日本での取得のハードルは低い.
また、日本で飛ぶにあたって、日本の免許をとらなくても飛ぶことが出来る(外国の旅客機の操縦士は、通常は母国の免許しか持っていない).
(FAA: Federal Aviation Administration :米国連邦航空局) エフエーエーと呼ぶ.
(JCAB:国土交通省航空局 Japan Civil Aviation Bureau )日本政府の航空局は、JCAB(ジェーシーエービーまたはジェーキャブ)と呼びます.
夢を実現するためには、先ず、
"フライトトレーニング(飛行訓練)をしてくれそうなスクールを探す"
当時住んでいた場所は、米国東海岸のMaryland州のRockville という町だった.
(仕事場のNIHは、メトロで3駅 又は 車で10分)
そこから自家用車で1時間以内を目処に、行ける空港は5か所ほどだった.
米国生活に、それほど慣れていたわけではないので、道を間違えず、たどり着ける場所というのも重要だった.
当時、今ほどNAVIが普及していなかった.車での移動では、MapBookというB4版の大きな地図帳を利用していた.
先ずは、その一つである DCの北東にあるFreeway Airport Inc (W00)を訪ねてみた.
理由は、
ネットで調べると「ここのスクールが一番安かった(訓練1時間当たり$60位)」からだ.
(在外研究で、外国暮らしは、何かと出費がかさむ.この当時、息子は1歳半だったのもあり、余分な支出は抑えたかった)
(当時の為替レートは、147円/$位で、丁度、今と同じくらいだった)
高速道路を40分ほど走り、Free way airport を訪れてみると、米国らしい広い芝生の平原の中の道路の先に、飛行機が沢山駐機していた.
田舎の空港特有の構造で、別段、空港敷地と、ほかの道路や歩道との区分けはほとんどされないない.
道路と空港の境目には、高さ30㎝ほどの高さにロープが渡してあるだけ.
車のパーキングはそのまま駐機場につながっていた.
2月だったので、芝は枯れて黄色いが、春から秋にかけては一面のグリーンが広がり環境は良い.
パーキングに車を留め、管理棟や看板を眺めたり、飛行機の出入りの様子を観察していた.
自家用機は、自由に出入りするのだが、タクシー(地上を移動)していたセスナが、駐機していた他のセスナと翼の先端をこすって(ぶつけて)通過したりしたのを見て、私は引いてしまった.
この空港に駐機している飛行機は、どれも古かったり、錆が出て錆の流れのシミが胴体や翼についていたりと、古くて安そうな機体が多かった.
ダメ押しは、ここのフライトスクールのインストラクターの兄ちゃん.
彼らは、20台前半位の気さくな若者だった。 それは、それで結構だったのだが、、、、、
耳にピアス、TシャツにGパン、スニーカー姿だった。
もう一つの問題点は、この空港は、米国の首都特別管制区(SARFAと呼ばれる)の範囲中にあることだった。
2000年の911テロ以降、米国では首都防衛のため、ワシントンDCを中心として半径40km位の範囲に侵入制限をかけた特別管制区域(SARFA)を設定している。
SARFAに出入りする飛行機のパイロットは、事前の飛行計画書だけではなく、運転するパイロットの情報(指紋やパスポート、電話連絡先等、様々な個人情報)を予め連邦政府に登録し、進入できる資格番号の交付を受けておかなければならない。同時に、SARFAに入るための手続きについてのOn-Line講習を受講し、その知識がある事の証明を取らなければならない。
(現在、私は、この講習は終了し、証明書を持っている)
訓練費用が一番安く、高速道路で40分程の場所だったので、第一候補としてFree way airport に来たのだが、機体の安全性や空港の運用、諸般の手続きなど、初心者向けではなさそうに感じたので、ここのスクールは止めようと思った.
(別のスクールを探す)