24.05/26 千遠線を訪ねる | 田舎のあれこれ

田舎のあれこれ

信州信濃の「田舎のあれこれ」

千遠線(ちとおせん)

この24年3月23日開通式があった

かっては秋葉街道の一つであり

その道は千代と遠山との村道でもあった

なお遠山は上村+南信濃の総称

 

昭和37年から整備が始まり

60年余を経て整備が成った

 

4月下旬から通れるようななったということで

早速行って見た

 

国土地理院の地図には

新たに整備なった林道が未だ描かれていない

林道とともに隧道などの主な名称を描き込んだ

 

1908(明治41)年5月発行の

「明確下伊那郡図」の一部である

これを良く見ると

千遠線ではないだろうかという村道が描かれている

 

千代村、法全寺を「法念寺」と誤っているが、そこから

山口、二軒屋、木沢に続いている

まずこれが千遠線だろう

 

右手、泰阜村からも和田へ向かう道が描かれている

梨久保、二軒屋、或いは

漆平野、小黒山から栃城、下沢、名田熊山を経て

飯島、名古山、和田へと続いている

この道は底稲辺りを通っただろうか・・・

 

また左手千代村から

米川、野池、堂屋敷から小川路峠へ続く道もある

その道が、上町、木沢、和田、八重河内と続き

青崩峠から「秋葉新道」へ向かう

「秋葉新道」の新道とはどういう意味か

この地図の中に「旧道」の記載はない

この新道は今で言う「秋葉街道である」

 

そして上久堅、千代そして泰阜から和田へ抜け

青崩トンネルへ向かう道は全て秋葉神社へ向かう道

すなわち「秋葉街道」である

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 千遠線は、

『天文四年(1535年)武田信玄に攻められた

知久氏が兎ケ城(阿南町郷戸)が落ち

遠山へ逃れる道を開いたのが始めである』

という伝説が千代風土記に載っているという記載があります。

 

この記載で、

落城を見越して道を作っておいたのか

敗走しながら道を作ったのか

ここが分からないところ

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飯田市千代法全寺の三差路

千遠線起点

ここを左に取ったがチョット迷った

ちょうど、すぐ近くの作業小屋で

破竹の皮をむいている方にお話を伺う

この千遠線を使って

南信濃の皆さんと交流をされているとお聞きし

名乗ったうえで

お年とお名前を伺った

そうすると車から名刺を出してこられた

 

ありがたく頂戴すると

肩書は

南信州アサギマダラ愛好会会長

万古渓谷会顧問

千代峠を守る会

渓流釣り・炭焼きインストラクター

お名前は関口兼善氏だった

お歳は昭和17年生まれの82歳

 

この林道の開通を強く願っていたお一人であった

 

そして、地域活性化などの取組みをされている方でした

白馬からIターンされた「ないとうようこ」さんから聞いた

フジバカマを植えて

アサギマダラを呼び込んだりもしていた

(「ないとうようこ」さんとお聞きしたが聞き間違いがあるかもしれない)

泰阜村では、アイパークにヒヨドリバナを植えたが全滅し

ここのフジバカマを移植したという

また、上郷公民館も公民館の役員主事らが来て

ここから苗を運んだそうな

(5/27に林主事に聞いたら私も一昨年頂きに上がりましたとのこと 笑

 もう一つ林主事に野底山姫宮のアサギマダラを植えた経緯をお聞きしようとしたが

 失念しており、このことは後日・・・)

そうやって広まって

実は我家のフジバカマも

この関口さんの千代→上郷公民館→

          (枯れた花)我が家で種を蒔く

という旅をしたフジバカマで

繋がりが分かって感動しました

 

 

南信濃との交流会のことアサギマダラのこと等など

お話をいろいろとお伺いしましたが

この日は夕方から予定があるため辞すことに

小屋にあった長めの麦が干してあったが

何に使うのか聞きたかったが

諦め車に乗った

 

千遠線の看板

 千遠線ゲート

「祝開業林道千遠線」の看板もあり

万古渓谷観光案内図

ここは見晴らしがきかずに残念

この辺りは岩ツツジが咲く

 地蔵隧道

三十町歩共有山記念碑

法全寺山は、法全寺村・山中村の稼山

江戸・明治の山論という戦い

近くは、立木の売却、マツタケ入山券などで

収益を確保してきたが

時代の流れのなかでやむを得ず

管理団体を解散する旨が記されている

平成19年

 

地蔵隧道

東側出口の石仏

1972年竣工の万古大橋

 唐沢の滝

 猿間隧道

 この万古渓谷の案内看板がいくつかある

飯田市から泰阜村へ入ったところ

右に行くのか直進なのか分かりにくいが

関口さんから一部未舗装と聞いていたので

未舗装道路を選び直進する

右は栃城から温田駅方面へ抜けるようだ

標高1,130m付近の見晴らし台

下方に桐の花が咲いている

ここから先、桐の花が多い

標高1,320m位の泰阜村と飯田市南信濃との境となる峠付近

南信濃から泰阜村へ向かう車に「未舗装」の注意喚起

このあたりに

「千代峠」の朽ちかけた案内看板が有ったような気がする

再訪したいもの

これが昨年度末に開通した部分だろう

27kmの長い区間には相当古いコンクリート擁壁もあり

長い期間かけて開通したであろうことが分かる

小嵐稲荷神社

 

 

合戸峠

南信濃の和田と木沢をむすぶかっての道の峠

この写真は2003年8月撮影

同じく

千遠線方面は工事中につき通行止めになっている

バイクは懐かしいスズキストラッカー

オレンジ色

 

 

13時から道の駅にある

肉の星野屋さん経営の

元家さんでランチ

 

以降の運転は連合いに任せ

地酒の喜久水に舌鼓 

 

帰ってきて「上郷飯沼の民俗」刊行報告会2を

ライブ動画で視聴する

養鯉業の盛衰は興味深く

「2024年5月2日(木)

 大鹿村湯元山塩館にて

 「鯉の旨煮」を美味しくいただいたことを

 大磧神社で大鹿歌舞伎を観たことを含め

 下欄空白へ追記した」