24.05/08 歩こう会下見 石碑の文字を片栗粉で読む | 田舎のあれこれ

田舎のあれこれ

信州信濃の「田舎のあれこれ」

地域を探訪しながら「歩こう会」が19日に開催される

5月7日に参加者を集計したら40名の余

小さな地域にとってはたくさんの参加者だ

で、地域の歴史などをお話しするのに

今日の探訪の主目的は橋げたの文字を読むこと

地域の集会所へ入る「前の川」の橋げた 

川と言っても本は野底川から「三井」を通る

農業用水

川の幅は内寸で120cm位

ここの文字は前から読めていた

この左側の上郷の主要幹線「南條線」が改修拡幅した紀念に

集会所へ渡る橋を新に作ったものと考えられる

 

南條線は「堀尻」から「南条渡舟場」までの

長さ1400m 幅1.8mの道路を

明治41年着工 明治43年竣工と上郷史は伝える

 

竣工前は人や大八車が通るが精々だったろう

 

喬木村にある天竜川の南条舟渡跡 石碑

 

何時の頃から始まったか

昭和の時代まで渡船が有ったという

両岸にワイヤーを渡し

ガラゴシを付けロープで舟の先へ結び

船頭がトモとヘリに着いて渡ったと言います

舟が上流を向いて横にイザっていったという感じ

ガラゴシって滑車のことでしょうねキット

 

橋げたの大きさは

長さ178cm 高さ37cm 厚さ18cm

いくらかアーチがかっている

 

文字のプレート状になっている大きさは

長さ120cm 高さ24cm

そこには

南條線道路改修紀念

明治四十一年一月起工 仝四十三年四月竣工とある

 

上郷史の記載に相違なし 当たり前だ

 

さてもう片方の橋げたは

橋を車が通れるよう拡幅した際に橋桁の長さが不足し

使えなくなり

集会所内の敷地に半分土に埋まり「置かれて」いる

ここにも文字がありそうなのだ

 

直径5cm長さ2m余りの金属てこ棒を持参

支点を用意してグッグウッと持ち上げてみた

やはり文字が刻印してある

 

全体の写真を後から撮ったもの

橋げたの大きさは同じで

長さ178cm 高さ37cm 厚さ18cm

最初はこんな感じで読める文字と読めない文字があり

諦めかけたがググると

石碑の読みにくい文字に

片栗粉を振り掛ける

小麦粉はダメだ とある

 

早速家に帰り片栗粉刷毛ブラシ洗浄用の水4リットルを持参

上と下同じ場所の写真

振り掛けてサラッと刷毛でこすると文字がキレイに浮かんだ

感動!!

 

この通り見事に「読む」ことができた

「石橋寄付連名」とあり

寄付した人の名が22名

最後に石工 松本長太郎とある

 

文字を拾い写真撮影を終えたら

水をかけキレイに片栗粉を流し掃除完了

 

今日の主目的は完了した

 

 

 

次にリニアの飯田駅に向かう天竜川橋脚工事を見て

そこにある、かっての阿島の渡舟場から

「喬木線」を飯田方面へ向かう

「阿島の渡船 写真昭和25年頃)

その説明文

以上2点、座光寺街づくり委員会のHPより引用

 

24年4月6日撮影

座光寺の欠野沢川にかかるコンクリート橋のプレート

道路の名を橋の名にしてある

上りきって飯田八幡方向に左折

ここの写真を撮って左端の石柱を見ると

喬木と読める

よくよく読むと

正面に「喬木線改修紀念」裏側に「大正2年3月竣工」

右側には「飯田ェ 一里 八幡ェ 一里」

 

左側には「元善光寺ェ 八町 阿島ェ 半里」とある

「元善」くらいは読めたが他の文字は読めず

片栗粉を使って読むことができた 感動

撮影後は綺麗キレイにしました

 

丹保公園に寄りトイレが使えることを自ら確認

帰路に着く

ここの丹保公園から右折して西方

中込商店までが「高木線」

中込商店からは立坂線を通って高松そして」飯田に至る

 

ここから直進すると「高屋線」という道になる