24.03/19 熊谷元一写真展 | 田舎のあれこれ

田舎のあれこれ

信州信濃の「田舎のあれこれ」

 

 

連合い、嫁、孫3人で観てきた

7歳上の小学一年生の写真が印象的

この岩波写真文庫三冊

撮影したのが熊谷元一

右から1953年5月5日発行

1954年6月25日発行 2008年6月25日復刻版

1955年3月25日発行

 

展示されている写真を

お蚕様を飼っている写真を主撮ってきた

会場は「写真撮影OK」

蚕が食べる桑を収穫し枝のまま運ぶ

この枝は燃料になり

まっすぐな枝は

僕ら少年たちのチャンバラの刀になったりした

桑の葉を枝から金属製の爪で採って「びく」に入れ

背負って家まで運ぶ

お蚕様は家の中で飼う

時計が正しければ夜中の1時

 

お蚕様の下の方に素焼きの火鉢が見える

お蚕様に寒く無いよう暖房を使う

 

そして石油ランプのもとでお蚕様に桑を与えている

阿智村駒場に発電所が完成したのは大正3年12月

それから電柱立てて電灯が使えるようになっていく

ランプのホヤを清掃しなくてよく

石油を補給する必要もない

何よりの電灯の有効性は火災の心配がないということ

電灯はお蚕様を飼う農家に大変喜ばれ契約が増えていく

 

パーマをかけた若いお嬢さんがお蚕様を飼ったのかな

工場へ勤めるなど現金収入の道を選んだと思うが

夜中に起きてお手伝いかな

 

写真の解説に

『子供たちは宿題に出された蚕の観察』とある

 

今でも同じようなことが行われている

中学1年になる孫は小学生の頃

小学校でお蚕様を飼っていて夏休みに「連れて帰り」

家で桑を取りに行き桑を与え飼っていた

息子の嫁が食べる音って

すごい大きな音がするって言う

一緒に面倒見たんだろう

 

近所のなかよし保育園では一昨年

年長さんのハツザキ先生が保育園で飼っていた

 

ともに観察と生き物を育てる教育だったと思う

 

「まゆ玉かざり」

解説に『15日の小正月には米粉で作った繭玉、柿玉、餅花をサカキや竹枝にかざる』とある

竹に飾ってしなっているのが

「実るほど首を垂れる稲穂かな」の様だろう


「かけっこ」のスタートの一瞬

「位置について」の号令をかける先生を見ている子

まっすぐ前を見ている子

もう駆け出している子

今も昔も同じさま

 

この前を見ている子が僕にソックリって言ったら

連合いがこっちの方がミチオさんに似ている

と言われた写真

 

そう

この白い襟の付いた学生服の子が

似ているって言えばそうかもしれないが

そう、この格好で入学式に撮った写真がある

 

この写真展

写真の中に昔の僕がいた

友だちがいっぱいいた

そして貧しくも一生懸命働いた父や母がいた

 

今の子等には分からないだろうが

ズボンにツギを当てた子

ゴム短靴をはいた子

雪にわらぐつをはいた子

それが僕の子どもの時代につながる

 

算数するのに両手の指を折ョって勘定する子

ミチオ君は今でも指を折って数を数えるときがある 笑

 

貧しい中に懸命に豊かに生きた

家族が助け合って生きていかなければならなかった

時代が見える

子等は働きに出れば家にお金を入れ

3世代4世代で暮らしていた

子等は妹や弟を背負い学校にいく

 

いまは豊かになり助け合わなくても生きていける

子等は家を立て「独立」し

それぞれに暮らしていく

 

時には目をウルウルさせ

声を出して笑った写真展だった

 

「作品には、温かみと人生への応援歌」

「熊谷さんの足跡が私たちを勇気づけてくれる」と伝える

2010年11月9日 信濃毎日新聞社説

今回の写真展のフォーラムで

「熊谷元一の世界

 全村博物館から

 世界記憶遺産へ」

阿智村のキャッチコピー

「星空日本一 そして

 世界遺産の村

 阿智村」と題して

熊谷元一の写真のすごさをお話された

静岡大学教授 矢野敬一氏の追悼文

2010年11月13日 信濃毎日新聞

2010年11月8日6日に亡くなった

熊谷元一の訃報

2010年11月8日 信濃毎日新聞