24.01/30 広島呉宮島岩国 原爆ドーム 三輪車 千羽鶴 | 田舎のあれこれ

田舎のあれこれ

信州信濃の「田舎のあれこれ」

重いテーマの展示にみいる

陸軍病院の制帽
『看護婦の末岡セツ子さん(当時26歳)は広島第一陸軍病院江波分院で被爆しました。大量のガラス片を浴び、頭に傷を負いながら負傷者の治療にあたりました。この帽子は被爆時とその後の救護活動でもかぶっていたものです。』
と紹介文がありました
義母の制帽
原爆ドームと意匠は同じ
縫い方には違いがあるようだ
この当時の陸軍の制帽はこのタイプだったと思う
料理に使うボールに被せて撮ったもの
義母が
1942年武漢の武昌陸軍病院から帰還するときの写真
黒っぽいコートを着た看護婦が帰還する
この当時、派遣された看護婦は2年で帰国することになっていた
白い白衣の制帽が義母の制帽と同じもの 
銕谷伸一ちゃん(当時3歳11カ月)は、この三輪車で遊んでいる時に被爆しました。全身に大けがや大火傷を負った伸一ちゃんは「水、水……」とうめきながらその晩亡くなりました。父親は、伸一ちゃんにこの鉄かぶとをかぶせ、死んでからも遊べるようにと三輪車とともに庭に埋めました。
父親は被爆から40年後に遺骨を墓所に移すことにしました。これらを掘り起こした時、鉄かぶとの中には伸一ちゃんの丸い頭の骨が残っていました。
父親は伸一ちゃんのほか、倒れた家の下敷きとなった長女の路子さん(当時7歳)と次女の洋子ちゃん(当時1歳)も亡くしました。
 
かけっこが早かった
佐々木禎子さんの折った折り鶴
12歳になった禎子さんは白血病を発症
入院中に千羽折れば病気が治ると
薬包紙や包み紙で折り鶴を折り続けた
折った折り鶴は千羽を越えたと言われているが
入院したその年に亡くなった
 
集合時間に連れ合いが来ない
見入っていたらしい
改めて再訪しようと話した
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悲しいニュース
アメリカシアトルの「サダコと千羽鶴」銅像が盗まれる
伝える24年7月17日信濃毎日新聞
募金に応募します
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原爆の子の像

禎子さんの死を悼んだ同級生らが碑を造ろうと運動を始める

それが運動の輪が広がり「原爆の子の像」として完成する

今でも毎年、地域や学校から千羽鶴が贈られてくるという

 

 

 
 
 
おりづるタワーの「握手カフェ」
スモークド広島オイスターコモン
Smoked Hiroshima Oyster Common
美味しくいただきました 1,200円
広島へ行ったら食べて購ってきたいもの
すり身に玉ねぎ、とうがらしを入れてフライにした広島市草津発祥の名物「広島がんす」です。坂井屋では「まとめ買いがんす」として解凍後直ぐに食べられる「揚げがんす」と、揚げる前の生がんすを冷凍した「生がんす」を25枚入り~100枚入りまでご購入いただけます。どちらも「急速冷凍機技術」により長期保存が可能な冷凍がんすとなっています。

ピリ辛ごぼうは孫達にも評判が良かった

右側はパックに入ったもの

左はコップに入ったもの

共にいくつか購った後に撮ったので右は完売

コップのやつはバスの中で振舞いました

 

さばの広島菜巻き
このお姉さんが推してくれました
帰宅して夕ご飯にいただきました
美味しかったよ!